隊員の時にしかできない旅行「他国の隊員の任地を巡る旅」
そう思って、タンザニアへ。
ザンジバル
奴隷貿易時代はその拠点としてさかえ、それよりもはるか昔はエジプトが、マスカット・オマーンが象牙や香辛料を求めて往来した島です。サンジバルの語源は”ザンジ”。ペルシャ語で「黒人」を意味する言葉。ペルシャ語が語源という時点で歴史の長さを感じさせます。そして、東アフリカのスワヒリ文化圏の拠点となった土地でもあり、スワヒリ文化はイスラム文化の影響を色濃く残しています。スワヒリ文化圏は今のソマリアのモガディシュやキスマヨあたりからモザンビーク中部のソファラあたりまでの非常に縦長な文化圏だったとか。しかし反面、内陸へはたかだか30km程度という海岸沿いに集中した文化だったとか。スワヒリの語源は”サワーヒル”。アラビア語の「海岸、河畔」を意味しています。
その文化圏の中心地だったザンジバル。青い空と碧い海。白い街がある島。海を見るのは1年11ヶ月ぶり。やっぱりほっとします。そしてコーヒー屋さん・カフェがとても多いところにタコの足を揚げたものやココナッツを売り歩いている売り子もいる。南国空気とアラビアの文化とアフリカ風土がごちゃ混ぜになった場所はとても魅力的でした。
さて、ザンジバルでは理学療法士隊員と井戸掘り隊員の活動を見学。
二人とも問題を抱えつつも少しづつ前に進めようとしていました。そして二人のザンジバル文化への適応加減も驚きでした。
何やら打ち合わせ 細かいコミュニケーションが成功の鍵 |
地下16mでの井戸掘り作業 |
本土へ向かい、村落隊員と自動車整備隊員の活動を見学。
二人ともスワヒリ語を巧みに使い仕事をしていました。そして二人の仕事に対する真摯な姿勢に尊敬しました。
スワヒリ語で指導しながら一緒に作業 |
隊員が建設指導をした道。以前はただの獣道だった |
ウガンダとは全く違う景色に圧倒されるばかり。この広さはウガンダにはありません。
タンザニアの行政上の首都ドドマから4時間ほど離れたコンドアの岩絵遺跡群まで足をのばしました。世界遺産の中でも人の訪れは少ない方だと想像できます。だってKiwangala村と大して変わらない村の規模。そしてアクセスの悪さ・・・それでも行ったのは人類発生の地のロマンを感じたいから。
帰国した今振り返ると、他国の隊員活動を拝見することは貴重な体験だったと実感します。「なぜ自分が活動を失敗したのか」「うまくいっている人は何がそうさせているのか」そんなことを客観的に見れた旅でした。国が同じウガンダ隊員の活動を見ることも大きな勉強でしたが、そういった時は「ウガンダの文化・ウガンダ人」側から自分の活動や発言方法などを考えがちになります。しかし、国という共通項(東アフリカは残る)が無くなると「隊員活動の手法や姿勢」という自分たち側から活動を振り返ったり自己評価することができました。「そしてそれはこれから国際協力活動をする時に必ず役にたつと信じています。