前半12kmを5分を切るタイムで入って、ウハウハな私。
「このまま行けば、サブ4(4時間切り)か?!」と調子に乗って中盤へ。
Kasubi Tomb |
中盤のコースは世界遺産にもなっているカスビのブガンダ王国歴代カバカ(王様)の墓や王宮を通過する。「景色を楽しみながら走れるな~」とレース前に抱いた期待は残念な結果に。
カスビの墓は丘の上にあるのだが、私はその100mぐらい下の道を下っていく。
王宮はその真横の道を走るのだが、高い塀で王宮が見えない・・・
寂しい気持で走ってるとこに「チャイナ!」や「ムズング!」「走れ!」、「前に追いつけ!」なんて野次とも応援とも取れない罵声とも、冷やかしとも言える声援を浴びせられ、バカにしたような笑いをむけてくる。
普段、冷やかしでチャイナなんていわれると、ムカつくんだけどこのときは別。
その冷やかしすら、声援と受け取ってがんばれてしまうんだから、マラソンは不思議なものだ。
そして、コースはカンパラ中心部から遠ざかっていく道へ。
そして半分をすぎたあたりから、アップをしていない筋肉が悲鳴を上げだす。
こういう苦しい時にはペースメーカーやひっぱてくれる人がほしいところ。
幸運にも同じぐらいのペースで走る、欧米人を発見。
こんな感じで再びカンパラ中心部へ。
マケレレ大学の脇の道を走り、豚の炭火焼がおいしいワンデゲヤへ。
ワンデゲヤを過ぎたあたりから、ちょっとした坂道でも走って登れなくなり、引っぱり合った欧米人は遅れ気味になる。ワンデゲヤを過ぎるとカンパラの目抜き通り、カンパラロード。
ここまで、コースはしっかりとコーンで区切られていて、しっかり道が確保されていた。
しかし、ここから先そのコーンはなくなり、交通規制もなくなった。
目抜き通りを走るのに、だ。
マタツ(タクシー)やボダボダ(バイクタクシー)が入り乱れる中、路上を走る私。なんとも複雑な気分。「街、いや国を上げての一大イベントではないのか?」客を下ろすために路上に止めたマタツを道路側へ避けること数十回。歩道を走ること数百メートル。
それは、「日常をのっとる祭りとしてのマラソン」というより「日常の中にマラソンがお邪魔した」感じ。
「ごめんなさ~い走らせてもらいま~す」
このあたりになると、誰も選手に目を向けない。応援もされなくなる。
選手もまばらになる。ちょっと寂しくなる。
距離は30kmほど。終盤へ差しかかります。30kmの壁と言われる苦しいところ。心が折れそうになる。
そんなところへ救世主が!
そして、最後の最後にとんでもないことが!!!!
つづく。
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