Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2013/01/04

疲れた日の雑記と疲れを取る日の雑記

ウガンダに住み始めて1年と9ヶ月。

休日はマサカでおいしいお昼ご飯を食べる。
カレーが食べたかったらゴルフレーン。豚肉が食べたかったらチッチャブウェミ(Kijjabwemi)のバー。バーガーが食べたかったら、フィリカデレン。

お腹を満たしたら、コーヒー飲みながら1週間分のメール返信や調べ物などをする。任地でネットは使えない。その後、サウナに行って汗を出す。ウガンダ人によくからまれるが、話が面白くなりそうだったらこっちから積極的に絡んでいく。でも基本は最小限のやり取りだけをする。ボーーっとしたいのだ。1週間ぶりのシャワーを浴びて、スーパーに行く。缶詰など任地では手に入らないものを買う。夕飯にはチップス&チキンを食べる。月曜日から肉は食べられないから、食べ納め。

10人前後で乗るチワンガラ(Kiwangala)村行き、最後の乗合タクシーが現れる時間はわかっている。車やバイク、人の往来をベンチに腰掛けてただただ眺める。何も考えない。不意にからっぽになっていることにメタ認知する。頭も心も、体もクリアになる。

空を見上げると、夕陽と雲が織りなす傑作がある。その芸術に時に嘆息を、時に涙をこらえながらからっぽを楽しむ。1日という長い時間をかけてマントラを唱えずにからっぽに入っていく。

不安とか心配事とか、明日の楽しみや未来への期待感すら全部捨て去って、今を感じる。

ウガンダにずっと住んでもいいと思える日。





2013/01/02

謹賀新年


あけましておめでとうございます。

ウガンダでの年明けも2回目を迎え、帰国まで3ヶ月を切りました。

いよいよゴールも見えてきて、無事に2年の任期を全うできそうです。
ここまでこられたのは、それもこれもウガンダで共に活動する同期隊員やいつも刺激や勇気をくれる後輩隊員たち。そして様々なアドバイスをくれた既にそのほとんどが帰国している先輩隊員たち。なにより日本で待っていてくれている家族や友人たちのおかげです。

残りの任期は2年間で一番充実した期間になる予感がします。

これまで、同僚やダイレクターとの些細なやり取りで「なぜ変わろうとしない」「なぜ一つ一つ丁寧にしない」「なぜ海外ドナーに頼り続ける」と悩み、イラつき、自分の非力さを痛感してきました。
生徒への授業の中でも、自らの伝える能力の低さに愕然としながらも一定の結果を出してくれた彼らに感謝をしています。(この件については別エントリーで)

「それでも」と小学生のように、時には現実から目をそむけつつも、精神の強さが保たれる限り正面からその現実を受け止めてきたことで針の穴のような可能性から「できること」を広げてきました。脆弱な基盤の上で活動をしていることに変わりはなく、いつどうなるかわからない綱わたりをしているような状態は最初からずっと続いています。

今にして思えば、数々の問題を正面から受け止め続けたからこそ、私が「ウガンダ人は、これが必要だ」と思えるものを小さなインパクトながらも彼らば受容できる形で提供できていると感じています。

帰国予定日は3月23日。帰国の際は多くの方にお会いしたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

2012/12/02

キリマンジャロ登山 ~6th Day~


4600m   Barafu Hut   00:00~
5756m   Stella Point   6:15
5895m   Uhuru Peak    6:45
4600m   Barafu Hut    9:45
         Rest
4600m   Barafu Hut   14:00~
3137m   Mweka Camp   ~16:30 

歩行距離:ピークまで4.5km
     Barafu Hut~Mweka Camp 10.5km

一つの挑戦権を手に入れた。等しく受け入れそして拒む神の愛をボクがアタックの結果いかんに問わずその結果を受け入れることができるのかどうか、自分自身への挑戦権を。

17時に炭水化物たっぷりの早めの夕食をとった。早く寝ようとするのだが、みんな興奮しているのか、床につこうとしない。というか、本を読んだいた。ヘミングウェイの短編「キリマンジャロの雪」。それまで4日もあったのに読み終えていなかったのだ。山でする遊びといえば読書→キリで読む本→「キリマンジャロの雪」という安易かつミーハーなことを考えていたのはボク、光成氏、コナンの三人。別に示し合わせたわけでもなかった。「読み終えていないのに頂上には立てない」まるで宿題を授業が始まる直前に必死にやっている、中高生のよだった。

2時間ほど寝袋に入った。が、寒さと風で一睡もできなかった。寝袋からはい出し、身につけられる限りの装備を身に付け、ブーツをはき、ゲイターをつける。それだけでも、息苦しい。長くも貴重な一日がスタートした。

あたりは闇が包んでいた。それでも星たちが所狭しと夜空を占めていた。1等星も4等星も地上で見るよりも見分けがつかなかった。1等星が4等星に優しくよりそっているのか、それも4等星が1等星に近づこうとしているのか。そして、ルートの先を見上げると、先行するパーティのヘッドライトの明かりがジグザグの道を作りながら、星空へと溶け込んでいっていた。星が人によりそおうとしているのか、人が星に近づきたくて上を目指しているのか。4日目にアウグストが言っていた "Middle of nowhere""Another Earth" というよくわからなそうで伝わってくる頂上の景色を渇望した。

5000mを超えても、心身ともに余裕があり、ジョーダンや古今東西何かをしながら登る。三成氏は相変わらずピンピン。コナンとユリちゃんは黙々と歩を進める。5300mを超えたあたりから数歩進んで深呼吸に立ち止まる。数歩進んで深呼吸に立ち止まる。それを繰り返した。そでもフラフラする。眠い。そして急げなくなった。急ぐと、高山病の症状の吐き気や頭痛が襲ってきた。そして、寒かった。とにかく寒かった。鼻水は凍り、上唇に張り付いた。そんな時、一番心配されたコナンが遅れだした。「ごめん、先に言ってて」3人は「わかった。ゆっくりね」とは言えても「追いついてこい」とは言えない。コナンにアウグストがついて、ボクら3人とサブガイドのムリとマイクが先へ進んだ。

ギリギリのところで息をはき出しながら保つ。吐き気も頭痛もそんなにひどいものではなかったし、頭痛はほとんどなかった。

が、ボクの番が回ってきた。

突然の吐き気に嗚咽を漏らす。サブガイドのムリがボクの肩を支えてくれる。明るくなってわかったことだが、このあたりは一回転げ出すと、どこまでも転げていきそうな場所。吐いてみたものの、何も出なかった。あたりまえだ。アタックをかけて6時間弱、何も食べていないのだから。光成さんは休憩時スニッカーズにうまそうにかぶりついていたが・・・

ボク「ごめん、先に行ってて」
光成・ゆりちゃん「わかった」

2人はゆっくりではあっても、確実にボクより速い歩でサブガイドのマイクとともに登っていった。
ムリと2人で小休止。いつの間にか、空はしらみだしていた。進む先には短くなったヘットライトの道が星たちと交わり境界をなくしていた。しかし、さっきよりも星々との距離は近く、ライトの道は短かった。進んできた道には、バターをぬったようなのっぺりとした雲が大雲海をつくり、氷河がいつの間にか真横にあった。しらみだしていたのは空ではなく、大雲海であり、山を覆う氷河だった。星と山と雪と雲が創り出す世界に涙した。言葉にできない美しさへの感動と一人では登頂できなかっただろうという感謝。不思議とその涙のつぶは凍らずに流れた。こらえようとすると呼吸が大きくなり、体が楽になる。ゾーンへと足をふみ入れた。

火口外縁へ到着。そこがStella Pointだ。ここからUhuru Peakまでは緩やかな登り。難所は超えた。先に到着していた光成さんとユリちゃんと合流。が、Stella Pointについたとたん風の強さが数倍に。岩かげにはいっても5分もいられなかった。「ここで、コナンをまつのか」と不安になりかけたときコナン到着。この時点は6時30分。この日の日の出は6時45分で、このStella Pointで日の出を待つ予定だったが、アウグストの指示でUhuru Peakを目指すことになった。


このころまでには、あたりはオレンジが主張をしはじめ、岩を朱色に、氷河を赤く染め上げていた。そして、太陽光に照らされた、大雲海は急に温度を上げ、信じられないくらいの速さで立体感とコントラストを作り出した。アウグストが形容した"Middle of nowhere"や"Another Earh"がよくわかる。今でもあの世界を形容する言葉をボクは持たない。頂上Uhuru Peakの記憶はあまりない。ガイドたちに「おめでとう」と祝福され、「ありがとう」と返して写真を撮ったぐらいだ。

ただただ、大きな世界に圧倒されただけだった。それは「自分が小さい」と思わせる類のものではなく、「ただ世界がある」それだけだったのだと今では思う。

分かり合えない人は必ずいるとキリマンジャロで感じた。誰かがそうだった、というわけでなく。ボクら4人のパーティも同じ時に同じ行程で、同じように体力を消耗して頂上へ立った。同じ経験をしても感じることは全く違うのだ。ただ大雲海を見ながらそう思った。
たからこそ、ボクらは人に対して優しさをもって接していかなければと思う。それは「なれあい」や「傷つけない」というある種の惰性のような態度ではなくやさしさをもって。

 神は愛をもって人々の挑戦を受け入れ、さらに大きな愛をもってそれを拒むのだから。




2012/11/27

キリマンジャロ登山 4th day&5th day 


4th day
3860m Baranco Camp 10:00
4000m Karanga Camp 13:22
総歩行距離5km

5th day
4000m Karanga Camp  9:45~
4600m Barafu Hut      ~13:00
総補強距離4km



バランコウォールが朝の光の影のとともに立ちはだかった。4日目のスタートはこの崖を這い上がるところからスタートした。バランコウォールを見上げると足場の狭いルートをクライマーとポーターたちが尾根の上まで長い列を作っていた。この場所ではトレッキングポールはお休み。手を使いながらよじ登った。ここで滑落して死んだクライマーもいるし、ポーターもいる。アタック同様に難所だ。

そんなところでもポーターたちは頭に大荷物を抱えて軽々と登っていった。ガイドにコック、ポーターと3種類のシゴトをキリマンジャロの山の男たちは請け負っているのだが、4日目にもなると、「どうやら、序列のようなものがあるらしい」とわかってきた。アウグストに聞いてみた。


 「私はポーターを2年、コック2年、サブガイド2年、それからメインガイドになった。ガイドになるにはポーターとサブガイドは必ず経験しないといけない。クライマーの命を預かる仕事だから。

そう語る彼の落ち着いた姿に、責務を果たす使命感のようなすこし薄いぐらい影のようなものと、数々のクライマーをピークまで導いた自信からにじみ出た光のようなものが見えかくれしていた。
 
 ポーターたちは上限20kgの荷物をもつ。昔はもっと重かったらしい。ボクらクライマーの荷物をもつポーター。料理用のガスボンベを頭にのせるポーター。キャンプ用のダイニングテーブルが突き出た土のう袋を頭にのせるポーター。新米ポーターほどガスボンベやテーブルなどの運びにくいものを運んでいたように思う。なぜ、こんなきつい仕事を選んだのか。それは彼らが神の家の近くで生まれ育ったからだろう。アウグストに「それだけ経験と体力があったら、クライマーとして高くて難しい山に挑戦したくならないの?」と聞いた。

「ん~。私はキリマンジャロが好きだから。

Porter
その答えがすべての解答なのだと思う。

メインガイドになるには足掛け6年。サブガイドのひとり、ムリは3年でサブガイドになったらしい。彼の場合、サミットポーター、頂上のクレーター内でキャンプをするクライマーのサポートをしていたらしい。大荷物を抱えて5900mへ登っていく。ちょっと別次元の話だ。とはいえ、すべてのメインガイド志望のポーターがメインガイドになれるわけではない。言葉の壁を超えなければならない。ご存知のとおりタンザニアではスワヒリが公用語。ウガンダのように(学校で習うのかもしれないが)英語が日常的に使われていない。ムリはちょっと英語が苦手だったようだ。バランコウォールを軽々と超えていくポーターたちには言葉という別の壁が立ちはだかっている
ポーター。ルートは様々

一日伸ばした日程のため、ボクらはカランガキャンプという尾根の上で一泊。5日目にアタック前の最終キャンプ地、バラフハットへ高度を上げた。バラフハットはカランガキャンプ同様尾根の上にある。スペースは広くない。しかし平原の向こう側に形が印象的なマウェンズ峰が肩に雲をかけて待っていてくれた。到着したのが昼過ぎ。日程を伸ばさなければ、夕方に到着その夜アタック。もし一般的な日程だったら、かなりきついアタックになっていただろうとおもう。ボクらどうように上を目指すクライマーが集い、アタックを終えたクライマーたちが疲れと充実の入り混じった顔でバラフへと降りてくる。9時間後、いよいよボクらもピークアタックする。




2012/11/18

キリマンジャロ登山~3rd Day~


3800m Shira Camp    8:50~
4630m Lava Tower    12:46
3860m Baranco Camp  15:26

総歩行距離15km

 キボ峰の向こう側から現れた太陽に向かってボクらは出発した。前日の短い行程のおかげで全員の足取りは軽い。高度順応のこの日は、稜線をいくつか超え4600mのラバタワーまで登り、またいくつか超えながら3800mまで降りていく。キボ峰を常に左手に見ながらその横を抜けていく。

 高度順応は高山登山になくてならないプロセス。物事には一見、無駄とも思える行程を必要とすることがる。しかも登山の場合その無駄さ加減が顕著だ。つまり結果(登)は同じでもプロセスの難しさや違いによってクライマーの能力や技術を差別化するということだ。その「結果」や「達成感」はそのルートを選んだ本人にしかわからない。だけど、この過程や達成感は共有できるものだと信じていた。そしてそれは、多くの事柄においても同様だと信じていた。この時までは。

 ボクらのパーティはヘザー&湿原(Heather&Moorland)エリアを超えてアルパインデザート(alpine desert)に入っていった。植物が極端に少なくなり、砂漠の灰色と雲海と雪の白が世界を覆っていた。気温は寒く、風も強い。ソフトウェルジャケットをアウターにフリースをインナーレイヤーに着込む。グローブにニットキャップ。日差しは強く紫外線が容赦なく降りかかった。日焼けどめは必須携行品だ。4000mを超えると、いやがおうにも呼吸を意識して登らなければならなくなった。深く、大きく。ガイドが作るペースはじれったいほど遅かった。

 この日はバランコキャンプ泊。進む先にはバランコウォールと呼ばれる巨大な壁が立ちはだかる。その左手にはキボ峰が間近にせまっていた。アウグスト曰く「このサイトが一番きれいなんだ」。

 夕飯はいつも7時頃。メニューはスープと炭水化物、メインディッシュ、付け合せの野菜。これがうまい。山でこのレベルの食事ができるというのは本当にしあわせだった。夕飯後はいつもチャイを飲みながらトランプやウノをしながらすごす。活動のことから何気ないことまで、気心の知れた人たちと話をする。今思えば、登頂以外に、それが醍醐味の一つだった。そしてその人間関係があってこその全員登頂だったと思う。



テントの外にでると、星ぼしが所せましと夜空をうめ、こぼれたミルクが大きな河を作っていた。