Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2012/01/02

死ぬにはもってこいの年

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、こうふくになりうる、そのときはじめてぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものはまた死にも意味を与えるはずだから。
サン=テグジュペリ「人間の大地」より

あけまして、おめでとうございます。

1月1日の今日、うちの個人で子供たちを招いてクリスマスパーティー兼新年会をしました。昨日から準備して、あまり年を越した気がしません。メリハリつかないですが、昨年の事と今年の決意を少し。

昨年は私にとって大きく前進できた年ではありませんでした。

2011年1月から青年海外協力隊二本松訓練所に入所。
3月11日退所。そして被災。当時新幹線の中にいて「死んだ」と冷静に感じてその瞬間に受け入れていました。
多くの方が亡くなりました。自分もその一人になった可能性があると考えると、生きていることに感謝しています。そして亡くなった命の分まで精一杯活動しなければと出国前思っていました。
被災後の混乱の中、出国。ウガンダへ。


赴任後住居環境の悪さに蚊帳の中に引きこもったり
授業がうまくいかずがっかりしたり同僚や上司と衝突したり、いらいらさせられたり
エイズ患者の親の子のすぐ後ろに迫る「生」危機に絶望と無力感に襲われたりしました。
ほっぽりだそうと思ったことは何度も。


だけど、救ってくれる存在はいたるところにいてくれました。

気持ちよくウガンダへ送り出してくれた人たち。
日本の友人が餞別にくれた本。
ウガンダですばらしい活躍をする先輩隊員やバイタリティあふれる後輩隊員。
そして、3.11死ぬ思いをした同期隊員たち。
何より今、目の前にいる子供たち。
上げればキリのない人たちに支えられながらここまで来ました。



前に進めなかった年でした。
しかし、大きな収穫はありました。多くの種を得ることができました。
2012年、この種を大きく育てるとしだと思っています。

まだまだ、手探りの中での活動になりますが、精進してまいります。
一度死んだ身です。死んだと思って、いい時も悪い時も楽しんでいきます。

本年もよろしくお願いいたします。

2011/12/02

カンパラマラソン3

 急激なアップダウンを繰り返し、心が折れそうになった私。
それを救ってくれたのが、応援に駆けつけてくれた隊員たち。一人でレースに出てきた私にとって友達が沿道で「がんばれ」と言ってくれることにすごく力をもらった。ガツガチに固まったひざを少しだけ上に盛り上げる力がわいた。そして、その勢いのまま37kmの表示板。
「あと5km!」
コースはウガンダのパルコ、ガーデンシティの目の前に下る道に入ります。
ここまで来ればゴールは目と鼻の先。


ところがコースが分らなくなった。。
と言うのは、黄色いシャツの誘導係が忽然と姿を消しているのだ・・・
「どっちに走ればいいの? (??)//アッチ?コッチ?」

とりあえず周りをみわたすと、黄色い服を着た人がポツリ。
「こいつだ!」
とそいつがいってる方向へ。そしてそいつはウガンダのパルコ、ガーデンシティに入っていく。
「アレ?アレレ??」
とはいっても、リタイヤするのも申告しなくていいようだし、ボダボダに乗ってコースを走った輩だっていたし。まあいっか。と4時間切りを目指すことに。
ゴールまであと数キロ。4時間まで20分。
「できるさ!やってやれないことはない!」と鼻息が荒くなる。人類初のモビルスーツによる白兵戦をしてしまった彼のように。

アカシアアベニューという隊員連絡所がある道を登っていく。この登りがしんどい・・・
プロテアホテル(金曜日の肉のバッフェがたまらなくおいしい)の脇の道を抜け、ココロ・エアストリップへ。残り1kmの表示がある。この時点で3時間57分。
「サブ4は無理か・・・でもあきらめるわけにはいかないよね。安西先生」と心を奮い立たせながらゴール!手元の時計で4時間3分。

ゴールで待っててくれた隊員が2人。彼らに祝福してもらいながら他の走ってる隊員の話に。
「後の3人はどこ?」
「え?1人は抜いたけど、2人は知りませんよ。先にゴールしてるはずですけど」とボク。
じゃあ、中に探しにいこうということに。周りは黄色きいろキイロ。見つからない。
すると、待っててくれた隊員がボクの前にいるはずの隊員がその瞬間にゴールしたことに気づく。
「あれ?」とボク。
「あれ?」とボクの前を走ってた隊員。

「あれれ?」

誘導係がいなくなった時点で一抹の不安を感じないではなかった。だけどね。走るしかなかったのよ。
たとえそれが、ショートカットする道だとしても・・・

続々とゴールする選手たち。その選手たちの顔を見ても
「アレ?こんな人ボク抜いたっけ??」最後尾から走ったのにね。。

なんともやりきれない、すごく切ない42.195km(多分39kmぐらい)でした・・・
胸を張って「42km走りました!」とはいえない私でした。

ここからは、総括を。

まず、すごく楽しかった。マラソンは沿道の声援から力をもらい、選手同士で切磋琢磨、引っ張り合い、励ましあいながら作り上げていくレース。その一体感がたまらなく好きだ。

でも残念なことが沢山あった。
そのほとんどがオーガナイズの面。
・スタート時間を繰り上げたこと
・選手の走るルートが最後まで確保されなかったこと(安全面につながる)
・閉会式前にもかかわらず誘導係がいなくなったこと
・フィニッシュラインで拍手をして迎えてくれたのが隊員たちと某アメリカ発の王手NGOのアメリカ人たちのみ。ウガンダ人たちは会場内に設けられたステージに釘付けだった。
たとえ、ウガンダトップアーティストのケンゾーが歌ってるからって、ちょっと残念になった。
もっと盛り上げたらいいのに。お金かけてるんだしさ。

まあその辺がウガンダクオリティーと言ってしまえば、それまでだけど・・・
そこで止まってちゃ、いいオーガナイズはできないと思う。

楽しくも、切ない思いを残してくれた恋のようなレースだった。

おつかれさまでした。
応援してくれた人たち、ありがとう。

2011/12/01

カンパラマラソン2

前半12kmを5分を切るタイムで入って、ウハウハな私。
「このまま行けば、サブ4(4時間切り)か?!」と調子に乗って中盤へ。

Kasubi Tomb


中盤のコースは世界遺産にもなっているカスビのブガンダ王国歴代カバカ(王様)の墓や王宮を通過する。「景色を楽しみながら走れるな~」とレース前に抱いた期待は残念な結果に。
カスビの墓は丘の上にあるのだが、私はその100mぐらい下の道を下っていく。
王宮はその真横の道を走るのだが、高い塀で王宮が見えない・・・

寂しい気持で走ってるとこに「チャイナ!」や「ムズング!」「走れ!」、「前に追いつけ!」なんて野次とも応援とも取れない罵声とも、冷やかしとも言える声援を浴びせられ、バカにしたような笑いをむけてくる。
普段、冷やかしでチャイナなんていわれると、ムカつくんだけどこのときは別。
その冷やかしすら、声援と受け取ってがんばれてしまうんだから、マラソンは不思議なものだ。

そして、コースはカンパラ中心部から遠ざかっていく道へ。
そして半分をすぎたあたりから、アップをしていない筋肉が悲鳴を上げだす。
こういう苦しい時にはペースメーカーやひっぱてくれる人がほしいところ。
幸運にも同じぐらいのペースで走る、欧米人を発見。
彼の後ろにぴたっとついてひたすら彼の背中を見つづる。しばらくして私が彼の前に出て引っ張ることに。

こんな感じで再びカンパラ中心部へ。
マケレレ大学の脇の道を走り、豚の炭火焼がおいしいワンデゲヤへ。
ワンデゲヤを過ぎたあたりから、ちょっとした坂道でも走って登れなくなり、引っぱり合った欧米人は遅れ気味になる。ワンデゲヤを過ぎるとカンパラの目抜き通り、カンパラロード。
ここまで、コースはしっかりとコーンで区切られていて、しっかり道が確保されていた。
しかし、ここから先そのコーンはなくなり、交通規制もなくなった。

目抜き通りを走るのに、だ。
マタツ(タクシー)やボダボダ(バイクタクシー)が入り乱れる中、路上を走る私。なんとも複雑な気分。「街、いや国を上げての一大イベントではないのか?」客を下ろすために路上に止めたマタツを道路側へ避けること数十回。歩道を走ること数百メートル。

それは、「日常をのっとる祭りとしてのマラソン」というより「日常の中にマラソンがお邪魔した」感じ。
「ごめんなさ~い走らせてもらいま~す」

このあたりになると、誰も選手に目を向けない。応援もされなくなる。
選手もまばらになる。ちょっと寂しくなる。

距離は30kmほど。終盤へ差しかかります。30kmの壁と言われる苦しいところ。心が折れそうになる。
そんなところへ救世主が!
そして、最後の最後にとんでもないことが!!!!

つづく。

2011/11/30

カンパラマラソン1

 ウガンダにレジャーは少ない。
美術館や博物館、映画館の数が文化的水準の高さを表すものとするのなら、悲しいかなウガンダは乏しい。遺跡もほとんどない。
隣国のエチオピア・ケニアに比べると見劣りする。
今エントリーはそんな「文化」なんて高尚な話題ではないが(一大)イベントがあった。

MTNカンパラマラソン
MTNとは南アに拠点を置く電話会社。NTT(ドコモ)見たいな感じ。ただその守備範囲は西はガーナ・コート・ディ・ボワールから東はアフガニスタン。南はザンビア・南アとアフリカ、中東をカバーするどこでもDo Communicationができてしまう。ビックな会社。
そのMTNがスポンサー・主催をするマラソンが、カンパラマラソンだ。

レジャーが極端に少ないウガンダで私が待ちに待った一大イベントがこれ。
今年9月にあるはずだった、トライアスロンが中止になり、「他になにがあるよ?」と気合十分。

私を含め隊員の出場は6名。内2人がハーフ。
もちろん私はフルマラソン。
約1年ぶりのレース。フルは1年半ぶり。ロードレースは初めて。
さらに開催日程がいろいろ前後し、本決まりになったのが2週間前。
練習不足、調整不足で当日を迎えた。

当日は6時50分スタート。

前日から、「調整に40分ぐらい流して~」「アレ食べて、コレ飲んで」「コレ持って走って、アレ着て走って」とワイワイ準備をすることが楽しくて仕方がなかった。だって、今までのレースは全部自分一人で準備してたから。
さびしがりやです。

それはさて置き、当日は5時起き。
6時20分頃にスタート地点のコロロ・エアストリップに到着。
ワサワサとあわただしい中、したく。
6時40分ぐらいにハーフを走る、隊員と先にスタート地点に向かったフル出場の3人のもとへ。
が、ヒト・ヒト・ヒト。見つからない。
そして、周りは10kmにエントリーした人たち。「21kmはあっちだ」と教えられ。私もノコノコついていった。
そして「フルの選手たちはどこにいるんだ?」とハーフに出るウガンダ人に聞くと「フルはもうスタートしたぞ!」
私「は?まだ47分なんですけど!」
スタート時間前にスタートする意外性の発揮。アップも満足にしてません。
当然私は一人ぽつんと最後尾からのスタート。
「ま、いっか。誰に抜かれるわけでもないから、楽に行こう~。時間は自分の時計ではかっとうしー」とのんきにスタート。

ルートは前日に地図をもらったばかりで頭に入ってない。
道案内がいないと全くわからない・・・
でも、黄色いシャツを着た誘導係がいたので大丈夫。

で、走ってるとなにやら後ろからパトカーのサイレン音。
「事件か?」

パトカーが私の脇をすぎ、白バイがすぎ、二台に電光掲示板をのっけた先導車がすぎ・・・。
ハーフの選手たち。

このマラソン。ウガンダのナショナルチームが出場しており、隣国の招待選手も出場してる。賞金もでる。フルマラソンの優勝賞金が16,000,000Ush。約40万円。

世界屈指のランナーが私の横をズバッと集団で抜けていく。
一瞬世界のスピードについていこうかと思ったが、次の瞬間には心は折れた。
1km3分10秒台で走るスピードは見るだけで十分だった。間近で見られただけでよかった。

ハーフの選手にドンドン抜かれながら走る私。

ペースがわからない私は5kmか10km地点でペースを見ることに。
でも最初の距離表示は12km。 「うわ~~~中途半端~」と時計を見るとなんと58分!
1km5分を切るハイペース。でもそんなペースで走ってるつもりはない。

「ん?おかしいぞ」と思いつつもちょっとウハウハな私はレース中盤に入っていきます。

つづく。

2011/11/24

ウガンダの先入観。それは日本人みんな空手ができると信じて疑っていない。

先週、Mityana(ミティヤナ)県Ssekanyonyi(セカニョニ)で日本文化紹介イベントが行われた。私は他の隊員たちと音楽隊を結成。
普段、生の音楽に触れることの少ない小学校の子供たちにいろんな種類の音楽に触れてもらおうと、ア・カペラやリコーダー演奏などをした。

イベント全体の詳細はリンク先を見てもらえるといいと思う。

なので、今エントリーの主人公は空手を披露した同期隊員のキムニイことチムリ

貸切タクシー(マタツ)で2時間ほどして開催地の学校に到着。


サングラスをかけたチムリ登場に、子供たちビビりまくり逃げる。














イベント開催の挨拶、ブース準備もそこそこにチムリが道着を着ておもむろにストレッチ。

そして型を見せ始める。

バッ!バッ!!とこぶしを振る音に子供たちが吸いよせられる。

あっという間に数人が弟子入り。

その光景は、まさにカラテキッド

子供に真剣指導するチムリはまるでノリユキ・パット・モリタ

子供たちは「師匠!」といって彼のそばから離れなかった。

そしてお待たせ、演舞の時間。

全校生徒の前で型と板割りを疲労するチムリ。

ガチでやる気。

ところが板が割れなかったんだな、これが・・・

正拳突きを1度、2度、3度・・・

なんとかポロっと板が割れた。

一発で割れずスンゴイ悔しかったのか、チムリは中途半端に割れた板をヒザでバキ!っとやってた。

いい感じに師匠してたのに、面目次第もなかったのでした。
その後、子供が小さく割れた板をさらに割ろうとこぶしを立てていたので、あわてて止めたのは言うまでもない(笑)


ミヤギさんと、ダニエル