Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2013/01/27

3学期の終わりと先生活動の終わり

12月3日。本当は前の週の木曜日に修了式だったのに、通知表を作るのが間に合わず、同僚が「親たちに月曜日に修了式するように言った。」だって。「なんだよ仕事しろよ!」というツッコミは心の中に収めた。

親御さんたちに電話しまわって延期してもらった修了式当日にせっせと通知表を作っているのだから、「木曜にやってもおなじじゃないか!」というツッコミも心の中にしまって、通知表にはんこ押したりコメント書いたりしました。

私は学期途中の3月に帰国。もう親御さんにお会いする機会もないということで、5分ぐらいのスピーチをさせてもらった。子供たちは頑張って勉強した。褒めてやって欲しいなんて、今考えると偉そうなことを言ったと思う。でも子供にとって親に認められることこそ大切だとも思う。なぜなら、この国では子供の人数は多い。そしてひとりひとりの命の重要性(「重さ」ではない)も軽んじられがちだからだ。

さて、気になる子供たちの成績。私が一年担当したP3の算数の平均点は51点だった。2学期から3点上昇した。3学期の単元内容から下がることを予想していた私は、いい意味で驚いた。

やっぱり四則演算と九九の暗記。これができて初めて「算数」に取り組むことができる。P3全員が九九の暗記をできたわけではなく、9×9まで覚えたのはわずか3人。「日本の小学生はみんな覚えている」と思うかもしれないが、それは九九をリズムで覚えることができるから。

ニニンガシ・ニサンガロク・ニシガハチ・・・と。

英語もしくはルガンダにリズムで覚えるような方法が取れないのが残念だ。それでも「トゥートゥーフォー」とか「シックスシックスサーティシックス」というふうに可能な限りリズムを意識した。

他には分数を今学期は教えた。1/2と1/3では1/3の方が大きいと思っている子供たちの前提を壊して「割合」の概念を掴ませるのに苦労した。そこで使ったのが、卵ケース。日本の小学校だとケーキを使って説明したりするけれど、「ケーキ」なんて見たことのない子供達だ。彼らが手にとったことのある、みたことのあるものでなければ教材になりえない。ウガンダには(日本もそうだっけ?)6個入りのパックと10個入りのパックがあるのだが、6個入パックに丸めた新瓶氏を詰めながら「6個卵が収まるケースに、今5個卵が入ってるよね?」「さぁ、これを分数で表すと?」

5/6

「6個卵が収まるケースに、6個入ってる。これは?」

6/6

「そう。そしてケースがいっぱいになった。これが1。」

6/6=1

といった進め方で、分数の概念に触れてもらう。そして通分に移っていく。通分では5/10=3/6と説明しないと行けない。ここでも卵パックの出番。(ただ、失敗したのが「割合」の概念なのに実際には卵の数が別なこと。ここは課題として残った。)この説明が不十分なところで学期末テストが始まってしまった。何やらHIV/AIDS関連へのドナーとなってもらっているNGOへのアカウンタビリティレポートを作らないといけない+そこのスタッフが訪問するというので、準備やらなにやらで1週間ほど授業がストップするのだから、なんとも本末転倒というか、どっち向いて仕事してるのやら。と思いつつ、お金を持ってなんぼだから仕方ないか。とも思ってみたり。

それでも嬉しい質問をもらった。ウガンダ人の先生では子供たちは絶対にしないだろう質問。
授業はただ受けるものとしてベンチに座っていた彼らから両方向の授業ができていると実感した質問。
クラスで一番できるグループの一人、イスラムが「先生、5/10と3/6。分母の数字が全然違うのに何でイコールなの?」と。

Welcome to the MATHEMATICS world!

緑のシャツがイスラム

2013/01/21

ウガンダのブガンダ王国の氏族性( クランシステム)



ウガンダには40を超える言語があるという。民族も多数派のガンダ族をはじめ、テソ族、カラモジャ族、ニャンコレ族など様々で典型的な多民族国家だ。

私の住む地域はガンダ族(現地語:バガンダ)の住む地域のブガンダ王国の西のはてにあたる。ブガンダ王国には国王(カバカ)がいる。しかし、主権国家としては機能しておらず、ウガンダ国内の一民族の一文化圏として機能している。ちなみに、最近テソ族の長についたのが、アメリカ留学中の若干21歳の女王様だそうだ。ウガンダ国内を旅行すると、民族の違いというか、キャラクターの違いを感じることが多くある。そんなブガンダ王国のクランシステム(氏族制度)について少し調べてみた。そしてブガンダ王国だけでなく、多少の差違はあってもほかの民族にも存在している。

ブガンダ王国には53の氏族(クラン)がある。そしてすべてのガンダ人がどこかのクランに所属している。動物や虫の名前のついたクランがほとんどだが、「キノコ」とか「編み棒」なんて名前のクランもある。

クランシステムは400年前には存在していたと考えられ、当時は現在の王朝とは別のものだったようだ。そして現在の王朝がチントゥ王の出現により立ち上がった。その後、さまざまなクランが王国の外部から持ち込まれたり、王国内部で分離・統合がおこなわれた。

クランは大きく4つに大別することができる。
1.北からきた6氏族(マンバなど)。チントゥ王出現以前から存在したクラン。
2.チントゥ王出現と成立時期を同じとする16の氏族(チマ族など)
3.ブニョロ地域出身のチメラ王によって持ち込まれた11氏族(ガビ族など)
4.その他20の氏族。個別にブガンダ王国へ入り、元のクランからの独立や統合によって形成されていった(エンテ族など)

クランの構造
6つの下部構造があり、下から
・Nyumba いち核家族
・Luggya 祖父の家族も含める
・Mutuba 曽祖父母までの家系図に拡大
・Lunyiriri 
・Ssiga
・Kasolya
 NyumbaとLuggya以降、どこまで拡大していくか調べられなかった。個人的に推量した。

それぞれの階層で意思決定プロセスは存在するが、社会的文化的に意思決定できないイシューについては、仲裁の制度がある。家族で意思決定できないことがらについては祖父母などの血縁が仲裁。それでもダメなら遠い血縁が仲裁。それでもだめなら・・・といったぐあいに、その頂点がカバカということになる。つまり、社会的な決定事項は家族や血縁で決めていきましょうよ、というもの。日本の氏族性(明治以前に限る)も似たようなものだったのではないだろうか。ウガンダでの社会的に重要かつ典型的なイシュー。それは誰を族長にするのかという課題だ。

これは私見だが、仲裁できる人間が近くにいる必要があるので、地域によってマジョリティのクランが存在していたと考えられる。しかし、車やバイクの導入や経済活動が優先、近代化するにつれクランの移動も激しくなったのではなかろうか。この前提にたつならば、今後ブガンダカルチャーの拡大、新クランの設立なんかも、遠い未来のことじゃないように思える。

このクランシステム、面白い特徴がある。

まずは名前。クランによってつけられる名前が決まっている。逆に言えば、名前を聞けばどのクランの人間かすぐにわかるのだ。とはいて、ひとつクランでつけられる名前が限られているので、よくかぶる。そんな時宗教名で区別されることになる。 同じカトゥンバでもフランシス・カトゥンバとサイード・カトゥンバは別人、というふうになるわけだ。例外はあるらしい。親は別のクランの名前を付けることも可能。また、族長の名前は決まっていて、誰が族長になっても決まった名前に変えなければならない。

双子の名前はクラン関係なく決まっている。
兄妹の双子はカト(兄)・ナカト(妹)。
姉弟の双子はバビリエ(姉)・ワサワ(弟)
など

ほかにも、特別な名前があってこれもクランに関係なくつけられる。
ムシシ。意味は地震。地震の最中に生まれた子供はこう名付けられる。
チワヌカ。意味は「落ちる」。突然生まれた子供だそうだ。


次に自分のクランのシンボルを傷つけてはいけないこと。
例えば、エンテ(牛)クランの人間は牛を殺せないし牛肉を食べられない。セネネ(バッタ)クランはバッタを殺せない・食べられない。

クランごとにダンスをするときの太鼓のリズムがちがうらしいが、一地域に多数のクランの人がいる現在ではミックスされているのではないかろうか。

インドのカーストシステムが同列カースト内での結婚を慣習としていた(インターカースト結婚が増えてきているらしいが)のに対し、バガンダクランシステムでは他クランとの結婚を義務付けている(自分の母親のクランの人間とも結婚できない)。それは本来の機能としては近親相姦を禁止するためであったに違いない。しかし現在の人口の増加と地域移動が平易になったことを考えると、慣習として残っているのではなかろうか。

ウガンダにいると、クランの名前をもらう外国人はおおい。ちなみに私は始めカスレ(チマクラン:サルのクラン)、今ではブケニャ(ガビクラン:ウガンダコブのクラン)を名乗っている。ボクの生徒たちがつけてくれた。名前を変えたのは誰も呼んでくれなかったから。ブケニャになっても誰も読んでくれないのは、「カイト」が発音しやすい名前だからだ。

よく村人が「お前は何クランだ」と聞いてくる。これは2つの理由があって、一つは兄弟かどうか。もう一つは恋愛対象・結婚相手として対象内かどうか。日本ではその人となりをみわける変数に「年齢」「性別」「職業・職歴」「出身地域」「免許(できること)」なんかを履歴書に記載するが、ウガンダではその人となりやそんな変数に「クラン」がある。

ほかのアフリカではどんなクランシステムがあるのだろう。

参考ブログ: in my life 「ふたごの名前はいつも」
                  http://ameblo.jp/chamachama105/entry-11382319841.html




ンガビ(ウガンダコブ) @マーチソンフォールズ国立公園

2013/01/04

疲れた日の雑記と疲れを取る日の雑記

ウガンダに住み始めて1年と9ヶ月。

休日はマサカでおいしいお昼ご飯を食べる。
カレーが食べたかったらゴルフレーン。豚肉が食べたかったらチッチャブウェミ(Kijjabwemi)のバー。バーガーが食べたかったら、フィリカデレン。

お腹を満たしたら、コーヒー飲みながら1週間分のメール返信や調べ物などをする。任地でネットは使えない。その後、サウナに行って汗を出す。ウガンダ人によくからまれるが、話が面白くなりそうだったらこっちから積極的に絡んでいく。でも基本は最小限のやり取りだけをする。ボーーっとしたいのだ。1週間ぶりのシャワーを浴びて、スーパーに行く。缶詰など任地では手に入らないものを買う。夕飯にはチップス&チキンを食べる。月曜日から肉は食べられないから、食べ納め。

10人前後で乗るチワンガラ(Kiwangala)村行き、最後の乗合タクシーが現れる時間はわかっている。車やバイク、人の往来をベンチに腰掛けてただただ眺める。何も考えない。不意にからっぽになっていることにメタ認知する。頭も心も、体もクリアになる。

空を見上げると、夕陽と雲が織りなす傑作がある。その芸術に時に嘆息を、時に涙をこらえながらからっぽを楽しむ。1日という長い時間をかけてマントラを唱えずにからっぽに入っていく。

不安とか心配事とか、明日の楽しみや未来への期待感すら全部捨て去って、今を感じる。

ウガンダにずっと住んでもいいと思える日。





2013/01/02

謹賀新年


あけましておめでとうございます。

ウガンダでの年明けも2回目を迎え、帰国まで3ヶ月を切りました。

いよいよゴールも見えてきて、無事に2年の任期を全うできそうです。
ここまでこられたのは、それもこれもウガンダで共に活動する同期隊員やいつも刺激や勇気をくれる後輩隊員たち。そして様々なアドバイスをくれた既にそのほとんどが帰国している先輩隊員たち。なにより日本で待っていてくれている家族や友人たちのおかげです。

残りの任期は2年間で一番充実した期間になる予感がします。

これまで、同僚やダイレクターとの些細なやり取りで「なぜ変わろうとしない」「なぜ一つ一つ丁寧にしない」「なぜ海外ドナーに頼り続ける」と悩み、イラつき、自分の非力さを痛感してきました。
生徒への授業の中でも、自らの伝える能力の低さに愕然としながらも一定の結果を出してくれた彼らに感謝をしています。(この件については別エントリーで)

「それでも」と小学生のように、時には現実から目をそむけつつも、精神の強さが保たれる限り正面からその現実を受け止めてきたことで針の穴のような可能性から「できること」を広げてきました。脆弱な基盤の上で活動をしていることに変わりはなく、いつどうなるかわからない綱わたりをしているような状態は最初からずっと続いています。

今にして思えば、数々の問題を正面から受け止め続けたからこそ、私が「ウガンダ人は、これが必要だ」と思えるものを小さなインパクトながらも彼らば受容できる形で提供できていると感じています。

帰国予定日は3月23日。帰国の際は多くの方にお会いしたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。