Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/07/21

本能という砂の上の家”人間”

ウガンダの高校で生徒がストライキをしたとの記事がNew Vision紙のWeb版を見ていて目に付きました。
”Kibaale school closed over strike”
http://www.newvision.co.ug/D/8/18/760679

ストライキの理由は重度の体罰、課外授業への課金、先生が授業をしないこと、生徒をからかったこと、とあります。

(もし本文を読んだ方で、私の認識違いがあったらご指摘ください)

先生側は「これは政府が学校運営の資金をくれんからだ!」と双方の言い分が食い違っている印象です。

ウガンダでは体罰や先生が授業をしないなんてことはざらにあります。
課外授業への課金は聞いたことありませんが、先生が生徒をからかったってのも「あるんだろうなー」という感想です。

体罰や生徒をからかうことについては別のエントリーで詳しく紹介したいと思いますが、
笑っちゃうようなことでストライキが起こりえるのがウガンダです。

給食がマズすぎて暴動が起こりそうになったとか、寮制の学校では生徒を管理しすぎて生徒が先生にくってかかったとか、
結構聞きます。
まあ、私の親世代の日本の給食も粉ミルクなんかがまずかったってききます。
でも「給食がまずくて勉強なんかやってられんばい!」ってならなかったのはなぜでしょう・・・

隊員仲間と話していて、よく上がる話題ですが、ウガンダの食事は食材はほとんどどこも同じ。食材の質なんて初めからありません。
しかし、作り方によってすごくうまくも、すごくまずくもなるのがウガンダの食事であるように思います。
学校によって炊事番が変われば問題が解決することもあるようです。

管仲が「衣食足りて礼節を知る」といっていました。
ウガンダに来てその普遍性と正確性をまざまざと見せ付けられています。
責務を重んじる心や礼節、仁義、は腹が満たされて始めて成り立つ考え方や理論なのだと。

2011/07/16

援助の正しさ

今回はきわどい内容です。同意してくれないこともあると思います。そして、一息で出来上がった内容でないので支離が滅裂しています。ご容赦を。

援助の行為は大きな矛盾をはらんでいる。少なくともボクの考えと現実世界とでは。

援助(「国際協力」というと意味が変わってくるのでここでは援助としておく)の世界のPRについて考えた、いや前々から感じている違和感がある。

援助関係団体のポスターや広報誌、ウェブを見ると異常なほどに子供の笑顔の写真が多い。それは、ボクがいるNGOではより現実のものとして見られる。

ウチのNGO子供をダシにして、援助をもらおうとしている節がある。ウチのNGOでは子供が”Why children suffer in this world?”とか”Protect their rights”なんて歌詞の歌を歌ってる。
10歳前後の子供が”何で世界で子供がくるしんでいるの?”とか”彼らの権利を守れ”なんていえるだろうか。いや、考えるだろうか。

小学生ってその日その日楽しければそれでいいと思っているし、将来のことや世界のことなんて本気で問題だと思っているわけではない。少なくともボクはそうだった。ただ、漠然と「お腹をすかせた子供が世界にはいるんだ」ってその程度の認識だった。

少なくとも、うちの子供たちが自分たちの権利のことを”our”ではなくて”their”と歌っている時点で歌わされているとボクは感じている。

そんな大人のやり方を嫌悪している。「せこい」って。
じゃあ、自分はそんなことしてなかったか?
日本で活動をしている時、ウェブサイトのの更新時に積極的に子供の笑顔の写真を使ってアップしてなかたかって。それと変わらないと思えてくる。

製造業だろうが、サービスだろうがPRって、どんな内容でも、どんな媒体を使っても、人の感情へ訴えかけるもの。「あ、コレほしい」とか「あ、楽しそう」とか「あ、かっこいい」とかさ。

援助の世界ではその括弧の中が「あ、かわいそう」なだけなんじゃないかって。

人の行動の全ての始まりが感情だから当然といえば当然。
カンボジアでその感情を芽生えさせたボクは今ウガンダにいる。

この同情を求めるやり方をセコイと思ってしまうのは、ボクの感性・嗜好の問題なのだろう。

もしそうなら、ボクはそれが世の中なんだって納得はしないまでも、折り合って仕事をする。
人の感情に訴えかける写真を今のNGOのHPに使うし、そういうブログの書き方もする。
それが組織の、援助の世界全体のためなら。
「アフリカの子供って貧しいんですよ。でも、健気に目を輝かせながらがんばって生きてるんですよ。」どこを見たってこういう論法の訴え方をしている。うそ臭くて虫唾が走る。

それって正攻法なのかな。なんか上っ面を掠め取ってるだけな気がしてならない。

「広報戦略」「武器」と言えば聞こえはいいけど、それで得たドナーだとか、お金って本当にその場所でその時に必要なものなのかな。訴える力を、武器を持たない人が本当に援助を必要としてる人たちだとしたら?

ボクはそれが怖い。

小手先の技術の有無で必要な場所に必要なときに、必要なモノが行き届かないのが。

それは「持っていない者が悪い」ということにならないだろうか。

じゃあそもそも援助って?

持つものから、持たざるものへ、手をさしのべることが援助ではないのか?援助の矛盾がここに潜んでる気がする。

人道的・Humanitarianismを掲げて援助をする誰もが活動をしているのに、そのPR技術や訴える力を持っているところにドナーの目は向けられてしまう。

みんながいいことをしようとしているのに。

力をもたない人々はいるはずなのに援助団体はそこへのアクセス方法がない。

しかし、この矛盾に「発展」という言葉を組み込もうとすると、上の戦略が正当性を持ち始める。


ボクの考える「人道主義」と「発展」の意味の上では、このふたつは時として同居できないものになってしまう。

「まったく持っていない者」より「ちょっと持ってる者」をより持つものへ押し上げてあげようという戦略が援助の世界でBOPの世界で流布している。「発展」を考えると当然のなりゆきだろう。

結局ボクの「感情・感性」と「援助・発展」の間の折り合いのところに行き着くのか・・・

難しく考えすぎだ・・・しかも子供のように
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ここまで書いて、次の日にぐちゃぐちゃになった頭を抱えて村へ足を伸ばした。

ロレックスというチャパティと卵の軽食を食べながら、なんとなく「これでいいやって」思えた。

自分の中に不動で理想的な「援助の形」とか「国際協力」なんて見つかってはいない。
いやむしろこの2年で見つかるかどうかも怪しい。一生かかっても見えないと思う。

「揺ぎないよりどころ」「腰をすえる場所」はいつでもほしいけれど、それは援助の世界では望めそうに無い。
でもこの場所がー今目の前に広がっているなんとなくヒトが生活している空間がーボクのよりどころで、腰をすえる場所なんじゃないかって。

それは、不安定なものかもしれない。だけどその不安定な中でも、ボクのやるべきことがある。
小手先の援助かもしれないけれど、本当に必要なヒトでないかもしれないけれど、少なくともボクが向き合っている対象にとってボクの必要性はゼロじゃないんじゃないかって思えた。

たぶん、そうやってこの世界でいきてくんじゃないだろうか。

たぶん。ね。


2011/07/15

緑の生活。バナナのお酒。

ニャボの情熱に負け、パッションフルーツを手に入れそこなった私。

時間は12時をまわり「お腹も空いてきたし、マトケの調理をしにそろそろ帰ろうかいな」と思ってはいたものの、次から次へと出てくる出品物に期待をしてしまいます。

農作物しか出てこないのに・・・・
これが、貧乏性と言わずに、どう表現できるでしょう。。。

その、貧乏性が功奏してか、ムチョモと呼ばれる串焼肉が裏手から登場!
さらに、プラスティックのケースからファンタオレンジがおもむろに取り出されます。
「よし!これならいける!」と確信した私は目を細めてケースの中のジュースの種類を探ります。

「てやんでい、そんなケミカル色なジュースは真っ平ごめんだ。」と江戸っ子でもないのに江戸っ子気質が頭をもたげ、物色するのは、緑の山の形をしたヤツ

あ、マウンテンデューですね。

ちなみに略して「山デュー」。
ずっと昔から言い続けて一向に周囲にに定着した様子はありませんが。。。

「あ、あった。緑のヤツ」

ウガンダのいいところを一つ挙げると日本ではなかなか手に入らない山デューがどこでも手に入るところでしょうか。

私はムチョモと山デューのセットの登場を今か今かとまつわけです。
だが、待てども待てども出てくるのはファンタオレンジ・・・
「いったい何本のファンタオレンジがあるとかいな」
と思っているところに、MCのセボが緑のヤツに手をかけました。内心のガッツポーズと財布を握り締める手に力が入ります。

そしてまたもや壁が立ちふさがります。
今度はセボに5500ushで競り落とされるではありませんか!
スタートは1500ush。ボクは競の最初から声を出していたのに、5000ushまで出して。。。
村で買えば会わせて1500ushもしなにのに・・・

涙をのんでいたら、MCのセボが山デューを手渡してくれました。
「涙なんかのまずに、こいつを飲みな」と。
しかも、5000ushで(笑)
競に負けといて負けた値でほしいものが手に入るんだから、ウガンダ人は優しいです。ここも、ウガンダのいいところの一つですね。

ムチョモとマウンテンデューで息を吹き返しました。
「さて、もう少しねばるか」と思ったのはいいとして、実はこの時「帰りどころ」を完全に逸しただけで・・・時計は1時を回ります。「そろそろ帰って、洗濯をしないと」と腰を上げようとしたその時。

歴史は動いた

コーラの瓶につめられたホットチョコレート色をした何か・・・

セレスがこそっと「That's local beer made by sour banana.」
サワーバナナって何?と聞き返すと、ボクのもらったばかりのマトケを指差します。

コレを試さずしてウガンダを知ること無かれ

バッカスが私にささやきます。

そのささやきに耳を傾けている間、競はムチョモとベルというウガンダ産のラガービールのセットに移っていました。

教会でお酒を振舞っていいんですか?

そこはアフリカクオリティー

きっとファーザーも赤道直下で天からじゃ眩しすぎて見えなかったのでしょう。

マトケビールと本日2本目のムチョモを今度は無事にゲット。まずはマトケビールの臭いを確認。
ちょっと青臭い・・・

ボクは青二才。

味は発酵途中の地酒のような酸味。ちょっと白ワインっぽいボディー。
ムチョモを肴にしてもコーラ瓶1本はきつい。

アルコール度数は高くない。それなのに、あっというまに回ってきます。きっとバッカスの差し金だったのでしょう。

それをちょびっと残して、ふらふらしながら立ち上がり、セレスに一言「酔ったから帰る」。
お酒をたしなまないセレスからしたら、「ええ?このタイミングでそんな理由で?」と内心突っ込んでいたはずです。去り際に牧師から、「来てくれてありがとう、屋根代を出してくれてありがとう」とうれしい言葉をいただきました。

私自身クリスティアンじゃないですし、競りで買わなくても、村で安く手に入るものばかりでしたが、経験と村人との交流ということを考えればペイしたんだと感じています。

さて、千鳥を踏む足でマトケを頭に抱え家路についた私。

よくアフリカで頭にものを乗っけて歩いている写真なんか見かけますよね?
あれって結構難しい!
うまく頭の上で安定しない。通常バナナの葉をクッションにしているようですが、それなしでは脳天が痛い。頭上で安定しないので、支える腕がしびれて仕方が無い。

など、ニャボの様に軽々と頭キャリーをするには訓練が必要のようです。

家は村の中心をはさんで教会とは反対方向。村を突っ切って帰ります。

頭にマトケをのせた千鳥足のムズング


これだけで、笑いの種。「なんともおいしいところをもって行ってるんだろう」とほくそ笑んで帰宅しました。村人にちょっと受け入れてもらった気がします。

マトケ一株をもらったのは、「おいしい」とは思いませんがね。。

2011/07/10

緑の生活。情熱のフルーツ。



アフリカには緑のバナナがある。
ウガンダでは、マトケと呼ばれています。

それが突然、家の狭い部屋の一角を占めることになしました。マトケが勝手に歩いてきたわけじゃないんだけど、マサカです。

ついに、マトケ自炊生活がスタートしてしまいます・・・

ウチのヘッドティーチャーのセレス(仮名)はクリスチャン。チワンガラのチャーチへ通っているそうで、今日はそのセレスのチャーチがオークションをするというので、遊びに行きました。

教会の屋根のトタンを買うためのお金を稼ぐため、
みんなでものを持ち寄ってオークションの収益で屋根を作ってしまおうという目論見。

そうくると、日本で言う「バザー」の様な感覚で家庭で使っていないものなんかを持ち寄るのかと私は思ってました。
村人が農家たちだということを想像の外にしていました。




集まっていた品物はマトケ、サトウキビ、キャッサバなどの農作物。パパイヤ、パッションフルーツなどのフルーツ。鶏とヤギという家畜たち。

雑貨を期待していた私は「あ~、競りおとすすものないやん」とつい博多弁が出ちゃいました。

セレスと牧師に促され、屋根が途中までしかない教会の片隅に腰をおろす私。
「フルーツなら落としてもいいか」なんて思ってルガンダが飛び交う中を見守っていると

モンキーバナナ一株が10000ush(約400円)
サトウキビ5本        1500ush (約60円)

確かに村で買うより値段はかなりいい。みんなの信仰心の表れでしょうか。
サトウキビなんて1本100ush(約5円)で買えるのに。
そして、競にかけられる量が家庭用。一人暮らしの私にはどれも半分ぐらい腐らせてしまいそうな量。

面白いのは、マトケ一株と鶏やなんかをセットで競売にかけてます。(上の写真のような状態)
「別々にしてかけた方が、収益はいいんじゃないか?」と思ったのは多分私だけ。

そんな太っ腹な競売を見守って40分ぐらいたったでしょうか。
ふと私の隣にマトケと豆の入ったビーにーる袋が置かれるではありませんか!
マイクを持ったMCのセボがなにやらルガンダで「おまえにやる」見たいな事を言ってきます。
すると、牧師が「日本人の君が来てくれた、たから彼が買ってくれたよ」と教えてくれました。

「え?さっきマトケ一株と鶏で3万シルはいっとったよ?」と内心申し訳なさ
そして「いや、マトケこんなに食べられんばい!!」と困惑。

いや、「ていうか、マトケは好んで食べないんですが・・・」

ウガンダでは鶏は貴重品。鶏のモモを焼いたやつでも2000ushもするぐらい。ちなみに、牛肉o.5kgに相当。これは村で1日で使う金額の90%を占めます。

その後、お返しの気持ちもこめてパッションフルーツ数個に「Nkumitaano!(5000)」
この値段ならいけるだろうと思ったら、ニャボ(女性)が「Nkumitaano bitaano!(5500)」とあげてきたではありませんか。
「こっちは他に競り落とすものがないんだよ!!」とボクも5700とあげていきます。
壮絶なるデットヒートの末ニャボが6500で競り落としました。

よっぽどパッションが食べたかったんですね。その情熱に負けました・・・
その後、パッションの機会はありましたが、私は別のものに気を魅かれました。

つづく。

それにしても、マトケのプレゼントはうれしさあまって憂鬱間100倍です・・・

死に場所を探して

その日、マトケ畑の中にすえられた墓穴のトタンはひどく鈍色に輝いていました。

亡くなったのはウチの生徒のおじいちゃん。
御歳80歳を越えたおじいちゃんだったそうです。

午後授業を終え、3時半過ぎに子供たちとチワンガラ村の西側にあるお宅へ向かいました。
今回はヘッドティーチャー(校長とか、主任みたいなポジション)のセレス(仮名)と2人で引率です。

ウガンダにも香典の文化があります。ウチの先生たちで香典を包みました。
アメリカでは香典の文化は無かったように記憶していますが、ウガンダではお金だけでなく一言メッセージを書きます。
セレスが紙切れに一言書いていました。

お宅ではすでに埋葬をしている途中。
木製の棺桶にトタンと金網をかぶせセメントでふさいでいました。
今回は間近でみることができました。土葬の埋葬はもっと粛々と行われると思っていたのですが、農作業のよう。数人の男たちがスコップ片手に作業をすすめます。
墓穴の隣で土の上でセメントと水を混ぜ、それをそのままスコップでトタンの上にドスドスのせていきます。
セレスもスコップを持ってセメントを放り投げていきます。
墓穴の横に座り込んでいる、子供に容赦なくセメントが飛び散ります。

ボクは内心「あ~あ、服が。」

家路の途中ウガンダの葬式についてセレスがいろいろ教えてくれました。
お金のある家庭は木の棺桶やセメントを用意するそうです。お金のない家庭は木の皮のバーククロスでご遺体を覆い、トタンの上に土をかぶせるそうです。

また、埋葬場所のことも教えてくれました。
なぜ畑の中なのか、墓地は無いのかと聞いたところ
「土地を持っている家庭は自分の土地に埋葬するんだ」
「墓地は土地の無い家庭の人が埋葬する場所だ」
「それに、カンパラに住んで死のうが、自分の土地がチワンガラにあればこっちまで遺体を運んで埋めるんだ」と。

ウガンダ人の土地に対する考え方の一端を見た気がしました。
この国では土地を持つことは死に場所を持つことと同義なのかもしれません。

土地に関して更なる勉強と考察が必要のようです。

2011/07/07

水が(沸)騰

今日村に帰ってびっくりした。。。
物の値段が上がっている。

チャパティは小麦粉の高騰で以前から100ush上昇していたが、ソーダも100ushあがった。
水にいたっては倍! 今まで300ush(これでも他の隊員からは高いといわれる)が一気に600ushに。
300ushって、キャベツが買えちゃうよ?
今日はウチの水汲み屋さんに電話したら「病気だ」といわれたので、他の人を村で捕まえた。

事実ウガンダシリング安がとまっていない。
先週$1=2600ushまで値がさがていた。
今週$1=2530ushぐらいまであがっていたけど、先輩隊員に聞くと半年前より確実に安くなってきているらしい。

ボクは現金収入で生きてるからいいけど、村人は大丈夫か?
自給自足的生活をしている人間が現金に依存する生活をしはじめる予兆か?

こんど、ウチの水汲み屋さんに何であがったか聞いてみよう。
水は絶対に必要なものなのにコレだけの値上がりは異常だ。

2011/07/05

思考停止に陥らない

派遣後3ヶ月がたちました。
そして、次期の隊次、平成23年度1次隊が赴任してきました。
まだまだ知らないことばかりなのに、新米といえなくなるのは複雑な気持ちです(笑)
でも、2年たっても知らないことばかりなのかなと感じてもいます。

今はまだまだ活動でのアウトプットを気にするよりも、知識情報をインプットする次期だとは思います。
ただ、そのインプットは常にしていかなければいけないことかもしれません。

知ることについて、当たり前のことを。
無知の知とえらい哲学者も言っていました。知ることは知らないことの認識からはじまるのではないでしょうか。
その知らないことをいかに知るのか。自己の持っている知識・習慣との「違い」を体験・認識することで無知の知をしることができます。
その違いの体験・認識以外にも自らの無知をしる方法はあるかもしれませんが。

ウガンダでの生活の中で多くの違いを体験しています。
例えば嗜好品。

ウガンダ人は紅茶をよく飲みます。
紅茶の入れ方は粉末にした紅茶葉をスプーンのえで2から3杯コップに入れます。そのあとにサトウキビから精製された砂糖をたっぷり
同じコップに入れます。そしてお湯をそこに注ぎ、かき混ぜてそれを飲みます。
この紅茶の飲み方は日本とは違います。この違いの認識から「なぜ」を自問し始めることによって知を発展させることができます。

なぜ紅茶なのか。なぜコーヒーでないのか。
なぜ紅茶を粉末にするのか。なぜ砂糖を入れてで飲む人がおおいのか。

植民地時代の宗主国イギリスの影響からかもしれません。
コーヒーに比べ紅茶のほうが飲めるようになる行程が少ないからかもしれません。

「なぜ」を自問するとは知るべきことを再認識させてくれます。そうすることで正確な知識を身につけようとする姿勢を保つことができます。
「紅茶を飲むのはイギリスからの影響だろう」と決め付けることは簡単ですしその可能性は非常に高い気はします。
しかしそこでさらに「なぜ」と自問しなくなると思考停止状態に陥ってします。

中途半端に知ることは知った気になり、思考停止になります。
正確な背景を追求することがウガンダを本当に知ることにつながると感じます。当たり前ですけど(笑)