Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2014/02/16

学校と孤児院のあいだ

隊員時代に務めていたNGOが運営する孤児院(生徒は全員通いの寺子屋のような場所)が閉鎖の危機を迎えています。NGOが発足して10年。孤児院がスタートして8年。生徒数は1年前で120名ほど。小規模な孤児院です。ただ、このブログでいつも書いている通り「孤児」といってもストリートチルドレンなどはおらず、両親を亡くしていたとしても親戚に引き取られていたりしています。片親をなくした子供もふくめ、「孤児」が全体の3割ぐらいです。年長の生徒の成長とともに学年も増え、先生の数も徐々に増えてきています。けして大きくはないもののコミュニティのセーフティーネットとしての機能はかろうじて果たされている孤児院です。


その孤児院が政府から閉鎖のするようにとの辞令がきているそうです。そこで隊員活動の後日談として、すこし離れた立場から、孤児院の現状を紹介し、この警告が来た経緯を推測します。その後、この事件の構造的問題とNGOの今後を考えてみたいと思います。 
閉鎖といっても私自身あまりシリアスにとらえていません。なぜなら彼らを知っていますし、困難があったとしてもカラカラ笑いながら日々を過ごして「なんとかなるでしょ」と信じている彼らの基質を信じているからです。

閉鎖勧告
ことの発端は代表からのメールでした。彼からは定期的にメールが来ていて、(その主なものはドネーションのお願いなんですが)、今週久しぶりにメールボックスを広げると、県庁からの閉鎖要請について書かれたメールがありました。 

詳細は割愛しますが、県庁からは「学校」としての適正と質がとわれているということ。ここで、大きく2つの問題をとりあげます。

1.校舎の問題
その孤児院の校舎は建設途中でした。これは私が3年前に赴任した(2011年3月時点)から何も変わっていない。なぜ建設途中になってしまったのかを短く。

海外NGOからの校舎建設のワークキャンプが入る。
海外NGOは完成した一棟の校舎建設を提案。ウチのNGO側は2棟を主張。
話し合いは平行線のまま結局、最初から予算の関係上、未完成になると知っていて、屋根のない2棟を建設。

といったところでした。屋根はないので雨が降ると授業はなくなります。雨宿りのために屋根のある別の校舎(他の学年の子供がいる)におじゃましたりしています。

また教室の大きさの問題もあります。教室のスペースもないので一人ひとりの机はなく、あるのはベンチだけ。なので生徒たちはベンチに座って授業を受け、ノートを取るときはベンチが机になります。一般的な学校にはひとりひとり机と椅子があり、それを考慮しても勉強の環境としては不適切だというもの。


2. 人材の問題
私が離任して1年が経つので現在の状況は分かりませんが、校長先生も事務局長もいませんでした。NGOが運営しているということから先生たちは、生徒に授業をする人であると同時にNGOの職員としてワークショップをおこなったりする2つの仕事を平行して行っていました。専門の校長先生や専門の事務局長を置く金銭的余裕はない。この専門の校長・事務局長不在が学校としての適切性に抵触するようです。

勧告されるまでの経緯
さて、ここからこの警告が来た経緯を邪推します。
2013年12月は最年長のP7(小学校の最終学年)の生徒たちがPLEを受験する年でした。ただしウチのNGOは学校登録をしていないためにPLE受験は制度としては不可能。ただ、彼らは無事PLEを受験することができたようです。はたしてどういった抜け道を使ったのか・・・
今後毎年PLEを受験することになるので学校として県へ申請をしたのでしょう。その結果、校舎の現状・人材不足の現状を問題視した県庁側から閉鎖の勧告がきた。こんなところだと思います。

構造的問題
あまりにも邪推過ぎて全くの信ぴょう性のないものですが、この事件の構造的問題については正確性を伴っていると思っています。

まず校舎の問題。
この問題は「なにが未完成にしたのか、未完成のままでいられたのか」「なぜ現状校舎が未完成なのか」という問いに答えることで、見えてくると思います。結論から言うと「2年・3年先を見据えた行動様式ができないから」ということができるでしょう。校舎建設の援助が入った時点で予算を無視した建設計画は、「またどこからか援助が来るだろう」というマインドセットがあるということ。援助に過度に期待しすぎた意思決定がなされたということです。換言すると「貧困の罠」や「援助依存」につながる行動様式だといえます。「貧困の罠」の側面からでは、現状ある予算を駆使して、一棟の校舎をつくる必要がありました。そして新たなドナー探しをすることで未来への投資を行い次の校舎を建設するという道筋が罠からの脱出ルートだったはずです。しかし未来を見据えていない当時の決断は、孤児院の閉鎖という最悪の結末を引き起こしかねない状況へ導いてしまいました。また、「援助依存」の側面からこの事件をみると、その甘い意思決定をさせたのは、「またドナーが来て、建設途中のものを完成させてくれるだろう」という未来に対する甘い期待です。そしてその甘い期待をさせたのは、貧困の罠に浸らせたのは援助です。「援助の必要性」に対する議論に発展しますが、ここでは触れません。とはいえ、もう長くNGOと付き合ってくれる協力隊員はいない。来るのは1ヶ月ぐらいの期間でくる現状を知ったと思ったら帰ってしまうボランティアだけ。

とはいえ、やっぱりポッとドナーが現れたりするんですけどね。だったみんなアフリカに援助したくてしょうがないから。

次に人材の課題。しかしここではむしろ事業の大きさの問題であると思います。ウチのNGOの事業は孤児院の運営とHIV/AIDS予防啓発活動の2本柱。HIVのワークショップは毎日やっているわけでもありませんし、プロジェクトは単発なので人材を別々に確保するよりは、「先生+職員」を一緒くたにして人材を確保することで人件費を抑えることができます。孤児院運営の予算(先生たちの給料)は別のプロジェクトから引っ張ってきているということになります。つまりプロジェクト(のお金)ありきで学校運営がなされているわけです。しかし、ウチのような零細NGOには専門職としての校長や事務局長を雇う余裕はありません。孤児院運営の予算が独立していないからです。これは孤児院事業にドナーがついていないということもありますし、つきにくいということもあります。それは成果がないからということができるかもしれませんし、ドナー側もウチの孤児院の「必要性はない」と考えているからかもしれません。それ以前にうちのNGOが孤児院運営に関してのプロポーザルを書いているとは思えませんが。


孤児院は必要か
最後に根本的な問題として「孤児院は必要か」を議論したいと思います。
議論を進めるために、「なぜ必要ないのか」から始めます。まず、生徒にとってほかに通うことの出来る学校が周りにいくつもあるということ。チワンガラ村の中だけでも4つ小学校があります。しかも公立の学校であればUPE(Universal Primary Education)政策によって学費はタダです。その代わり給食費(うちの孤児院では給食なのでこの点への出費はない)がかかりますが。さらに教育の質も孤児院に比べたら断然良い。先生をしている先生が(変な言い方だが)教えているのですから。生徒がうちの孤児院に通うのは2通りの場合。1つは他の学校で留年したりしたから。これは学力の問題ですね。もう一つはうちの孤児院がHIV関連の事業をやっているドナーと協力しているから。家族や本人がHIV陽性者だった場合、少しでもケアをしてくれそうな組織が近いところにいるほうが心理的にもいいですし、実際ケアをしてもらっているそうです。しかし、どちらの場合も「孤児院」ありきで事業をする必要はないと思います。NGO職員が家庭教師やケアワーカーとして足を運ばいいわけですし、政府から「学校」として認められるよりも既存の学校を補助する形で存在したほうがいいかもしれません。しかしローカルのNGOとしての誇りがそうさせないとも思います。組織である以上見栄えの良い校舎や事務所がほしいと思うのは人間の心理ですから。

ただし、そうはいっても必要としている人は必ずいます。セーフティーネットとしての機能は絶対に必要です。今回の事件はセーフティーネットとしての機能以上の機能をもたせようとした結果だと言えます。ですから様々な機能を持つ機関があるコミュニティで自分たちができる事業なにか、コミュニティのなかで必要とされている機能はなにか。何の機能が足りないのか。NGO自らが問いかける必要があります。

今後のことを考えるなら人材を増やし事業拡大路線に進むか、孤児院事業をセーフティーネットとしての機能にしぼるか。どちらかに針はふれるようなきがしています。ただこれは先進国的な見方なので、なんだかんだ言って現状維持になりそうな気がします。そしてコミュニティ内で各機関がゆる〜く機能を重複しながら存在しているのも悪くはないと思います。

そんな元職場の現状でした。

長文呼んでいただいて感謝します