Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/12/02

カンパラマラソン3

 急激なアップダウンを繰り返し、心が折れそうになった私。
それを救ってくれたのが、応援に駆けつけてくれた隊員たち。一人でレースに出てきた私にとって友達が沿道で「がんばれ」と言ってくれることにすごく力をもらった。ガツガチに固まったひざを少しだけ上に盛り上げる力がわいた。そして、その勢いのまま37kmの表示板。
「あと5km!」
コースはウガンダのパルコ、ガーデンシティの目の前に下る道に入ります。
ここまで来ればゴールは目と鼻の先。


ところがコースが分らなくなった。。
と言うのは、黄色いシャツの誘導係が忽然と姿を消しているのだ・・・
「どっちに走ればいいの? (??)//アッチ?コッチ?」

とりあえず周りをみわたすと、黄色い服を着た人がポツリ。
「こいつだ!」
とそいつがいってる方向へ。そしてそいつはウガンダのパルコ、ガーデンシティに入っていく。
「アレ?アレレ??」
とはいっても、リタイヤするのも申告しなくていいようだし、ボダボダに乗ってコースを走った輩だっていたし。まあいっか。と4時間切りを目指すことに。
ゴールまであと数キロ。4時間まで20分。
「できるさ!やってやれないことはない!」と鼻息が荒くなる。人類初のモビルスーツによる白兵戦をしてしまった彼のように。

アカシアアベニューという隊員連絡所がある道を登っていく。この登りがしんどい・・・
プロテアホテル(金曜日の肉のバッフェがたまらなくおいしい)の脇の道を抜け、ココロ・エアストリップへ。残り1kmの表示がある。この時点で3時間57分。
「サブ4は無理か・・・でもあきらめるわけにはいかないよね。安西先生」と心を奮い立たせながらゴール!手元の時計で4時間3分。

ゴールで待っててくれた隊員が2人。彼らに祝福してもらいながら他の走ってる隊員の話に。
「後の3人はどこ?」
「え?1人は抜いたけど、2人は知りませんよ。先にゴールしてるはずですけど」とボク。
じゃあ、中に探しにいこうということに。周りは黄色きいろキイロ。見つからない。
すると、待っててくれた隊員がボクの前にいるはずの隊員がその瞬間にゴールしたことに気づく。
「あれ?」とボク。
「あれ?」とボクの前を走ってた隊員。

「あれれ?」

誘導係がいなくなった時点で一抹の不安を感じないではなかった。だけどね。走るしかなかったのよ。
たとえそれが、ショートカットする道だとしても・・・

続々とゴールする選手たち。その選手たちの顔を見ても
「アレ?こんな人ボク抜いたっけ??」最後尾から走ったのにね。。

なんともやりきれない、すごく切ない42.195km(多分39kmぐらい)でした・・・
胸を張って「42km走りました!」とはいえない私でした。

ここからは、総括を。

まず、すごく楽しかった。マラソンは沿道の声援から力をもらい、選手同士で切磋琢磨、引っ張り合い、励ましあいながら作り上げていくレース。その一体感がたまらなく好きだ。

でも残念なことが沢山あった。
そのほとんどがオーガナイズの面。
・スタート時間を繰り上げたこと
・選手の走るルートが最後まで確保されなかったこと(安全面につながる)
・閉会式前にもかかわらず誘導係がいなくなったこと
・フィニッシュラインで拍手をして迎えてくれたのが隊員たちと某アメリカ発の王手NGOのアメリカ人たちのみ。ウガンダ人たちは会場内に設けられたステージに釘付けだった。
たとえ、ウガンダトップアーティストのケンゾーが歌ってるからって、ちょっと残念になった。
もっと盛り上げたらいいのに。お金かけてるんだしさ。

まあその辺がウガンダクオリティーと言ってしまえば、それまでだけど・・・
そこで止まってちゃ、いいオーガナイズはできないと思う。

楽しくも、切ない思いを残してくれた恋のようなレースだった。

おつかれさまでした。
応援してくれた人たち、ありがとう。

2011/12/01

カンパラマラソン2

前半12kmを5分を切るタイムで入って、ウハウハな私。
「このまま行けば、サブ4(4時間切り)か?!」と調子に乗って中盤へ。

Kasubi Tomb


中盤のコースは世界遺産にもなっているカスビのブガンダ王国歴代カバカ(王様)の墓や王宮を通過する。「景色を楽しみながら走れるな~」とレース前に抱いた期待は残念な結果に。
カスビの墓は丘の上にあるのだが、私はその100mぐらい下の道を下っていく。
王宮はその真横の道を走るのだが、高い塀で王宮が見えない・・・

寂しい気持で走ってるとこに「チャイナ!」や「ムズング!」「走れ!」、「前に追いつけ!」なんて野次とも応援とも取れない罵声とも、冷やかしとも言える声援を浴びせられ、バカにしたような笑いをむけてくる。
普段、冷やかしでチャイナなんていわれると、ムカつくんだけどこのときは別。
その冷やかしすら、声援と受け取ってがんばれてしまうんだから、マラソンは不思議なものだ。

そして、コースはカンパラ中心部から遠ざかっていく道へ。
そして半分をすぎたあたりから、アップをしていない筋肉が悲鳴を上げだす。
こういう苦しい時にはペースメーカーやひっぱてくれる人がほしいところ。
幸運にも同じぐらいのペースで走る、欧米人を発見。
彼の後ろにぴたっとついてひたすら彼の背中を見つづる。しばらくして私が彼の前に出て引っ張ることに。

こんな感じで再びカンパラ中心部へ。
マケレレ大学の脇の道を走り、豚の炭火焼がおいしいワンデゲヤへ。
ワンデゲヤを過ぎたあたりから、ちょっとした坂道でも走って登れなくなり、引っぱり合った欧米人は遅れ気味になる。ワンデゲヤを過ぎるとカンパラの目抜き通り、カンパラロード。
ここまで、コースはしっかりとコーンで区切られていて、しっかり道が確保されていた。
しかし、ここから先そのコーンはなくなり、交通規制もなくなった。

目抜き通りを走るのに、だ。
マタツ(タクシー)やボダボダ(バイクタクシー)が入り乱れる中、路上を走る私。なんとも複雑な気分。「街、いや国を上げての一大イベントではないのか?」客を下ろすために路上に止めたマタツを道路側へ避けること数十回。歩道を走ること数百メートル。

それは、「日常をのっとる祭りとしてのマラソン」というより「日常の中にマラソンがお邪魔した」感じ。
「ごめんなさ~い走らせてもらいま~す」

このあたりになると、誰も選手に目を向けない。応援もされなくなる。
選手もまばらになる。ちょっと寂しくなる。

距離は30kmほど。終盤へ差しかかります。30kmの壁と言われる苦しいところ。心が折れそうになる。
そんなところへ救世主が!
そして、最後の最後にとんでもないことが!!!!

つづく。