Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2012/02/15

ビクトリアフォールズと怪力

そして22日リビングストンへ移動。
世界三大瀑布の一つビクトリアフォールズのある街だ。
この街ではデラ(仮名)が活動をしていて、彼女が遊びをコーディネイトしてくれた。
そんな、早速ビクトリアフォールズへ!

訓練所の時とほとんど変わらず再会したでら。
彼女がタクシーの中で思いもよらぬ事件を起こす。

「NGO配属って大変だよね~」なんて話をしていたら、いきなりデラがタクシー後部座席の窓を壊す! さすがデラ。

「ちがうちがう~」(ちがわない)

そして、滝。
語らずとも写真だけで十分。
見るだけじゃつまらない。跳んじゃおう、漕いじゃおう、飛んじゃおう。

バンジー(私はしていない)。日本でもここのバンジーロープが切れて女性が転落したのはニュースになったと思う。その9日前のことだ。

ラフティング。ザンベジ川を半日下った。がけを下から見上げるのは壮観。

マイクロフライト。パラグライダーにエンジンを付けたやつで空から滝を見ようというもの。やるつもりが、アクシデントでできずじまい・・・残念。

ラフティングのスタート地点。橋の上からバンジー。


左の崖はジンバブウェ。右はザンビア。


かばのあくび

2012/02/11

ケンタッキーの友人

ザンビア2日目。
この日、大きな意味を持つ再会をした。

アメリカでの留学時代に同じ寮に住んで、仲良くしていたザンビア人の友人ジェームス(仮名)と再会した。
アメリカはケンタッキーの地で出会ったアフリカ人とアフリカで再会するとは思ってもいなかった。

待ち合わせ場所はもちろんKFC。そこ以外ありえない。

ジェームスの車でルサカ市内観光。
「とりあえずココおさえとけ」といろいろつれまわしてくれた。

まずは、

以前ウガンダに墓地はないエントリーを書いたが、ザンビアにはあった。そして、墓石は死ぬ前に自分で作るとか。場所代は払って、息子や孫の場所まで確保するとか。死してなお、子々孫々の死を案ずるザンビア人のやさしさにふれる。
墓石ひとつ、墓地ひとつでその国の文化を垣間見る。

つぎに、大学

ザンビアの東大、University of Zambia
大きなキャンパスに伝統ある校舎。なにより「ザンビア」らしかったのはDepartment of Mine(鉱物学部)があること。銅などの豊富な鉱物資源によって支えられた国だと教えてくれる。

そして、ジェームスが卒業した高校。

これは割愛。

さらに、クラフトショップ。
置いてるものはウガンダとあんまし変わらない。だけど、ザンビアの国旗をモチーフにしたトートバッグを購入。

つぎに足を向けたのは美術館
なんとも、中は現在改装中らしくあまり展示数は多くなかったが、アウストラロピテクスの頭蓋骨があったりと貴重なしなが数点。そして、コンテンポラリーアートの数々。なんだか文化的にも水準の高いザンビアがまぶしく見える。。。
こんな現代美術があるなんて・・・ウガンダには・・・ない
アメリカかぶれの彼は美術品に手を触れちゃいます・・


































目玉、国会議事堂
そんな簡単に中に入れる場所ではないのだが、彼の義理のお兄さんの親友が中で働いているらしくコンタクトをとってくれて、敷地内に入ることができた(この縁故で物事が動くところはアフリカ。ウガンダも変わらない)。写真をネット上にアップできないのが残念だ。


敷地内には国会図書館があったり、きれいに整備された芝生と池。そしてインパラが飼育されていてた。これには「おいおい、ウガンダやられてるじゃないか、完全に」と思ってしまった。なぜならウガンダの首都カンパラとは「インパラの住む丘」という意味があるからだ。

ベタだったが印象的だったのは議事堂の壁。全面というわけではないが、屋根部分に銅版がはめ込まれているところがあり、やはり鉱物の国、銅の国だと感じる。

そして、なにより親近感がもてたのは各議員ひとりひとりに割り当てられている駐車場。
何のヘンテツない、駐車場なのだが、議員の名前のプレートが立てられている。そして、そこに停車されている車たちは、カローラ。
聞けば、議員はみな自分で運転して国会へくるらしい。国会会期中だったため、議事堂内は見ることはできなかったが、貴重なものを見せてもらった。

車中、ジェームスと色んな話をした。Murrayのこと、Murray友人のこと、ウガンダのこと、ザンビアのこと、アフリカのこと。

ザンビア人でもエリート中のエリートのジェームズ。彼はウチの大学院でMBAを取得している。
ザンビアの外でも働くことができるだろう彼が、ザンビアに帰っていることに私はとてもうれしく思えたし、彼のような存在が多くなればザンビアの未来は明るいと思える。
ちなみに、私の元ルームメイトのザンビア人、アーセナル(アンリ)が大好きなスークワ(仮名)もザンビアに帰って仕事をしているらしい。しかし忙しいらしく会うことができなかった。


そんな、ノスタルジーと未来を感じることのできた再会の1日だった。

2012/02/10

サンダースの魅力

ザンビアはルサカで感動の再会をした我々ウガンダB型3人組とカズヤさん。
直行したのはケンタッキー・フライドチキン。KFC。
あえてもう一度言う。KFC!ケンタッキー・フライドチキン。だと!

ウガンダにKFCはない。KFCどころかマックもバーガーキングもサブウェイもない。
 感動しちゃって、記念撮影。
 


そして、メニューに迷う・・・


3ピース食べた。

味はやっぱりKFC。
でもメニューはグレイビーソースとマッシュポテトがあって、アメリカのKFCのメニューに似ていた。

KFCのチキンで寝不足の体すさんだ心を満たした我々。
そして、その夜はるばる陸路でザンビア入りしたタンザニア隊の5名・ザンビア地方隊員2名と合流することになる。

タンザニア隊とは3月11日、二本松で別れて以来。これまた「感動の再会」というはずだったのだが・・・

長距離移動に長距離移動を重ねた彼らタンザニア隊5人と北部ザンビア隊の2人はお尻の痛みのせいか、テンションがひくい。

再会を祝した晩餐もこんな感じ。


そして、私にとって感動の再会がもう一つ、次の日に待っていたのだった。

ちなみに、ウガンダに帰ってKFCがどれほどおいしかったか、某同期隊員に話をしたら「KFCがウガンダに出店するらしいよ」と教えてくれた・・・

まさかのシュカ

ご無沙汰して、すみません。遊びに仕事に忙しい今日この頃です。

ザンビアマラウイへ行ってきた。 12月20日から28日まで。

この旅は一緒に訓練を受けた同期隊員が各地から集合するという壮大なもの(笑)
私を含めウガンダから3人

私、ウガンダ人が恐れる空手・理数科隊員チムリ
そして服飾隊員で我がウガンダ隊ぶっこみ隊長末っ子長女サエ。

大体の面白いことは、チムリがブログで書いているので参照してもらいたい。



20日の早朝ウガンダのエンテベ国際空港を発つ。

最初の目的地はケニアのナイロビ。ここでルサカ行きに乗換えをする。
ナイロビには1時間もしないで到着。ウガンダ国外にきた気がしない・・・
アフリカの中でもウガンダは小さな国なのだ。

トランジットの待ち時間は1時間と少し。免税店で時間をつぶす。

普段ウィンドウショッピングなんてできない我々。免税店を歩き回るだけで購買意欲が掻き立てられる。
普段見ることのない(世界では一般的な銘柄)タバコ、(世界では一般的な銘柄の)お酒。
そんな中、やはり国際空港。ナイロビはお土産屋も数多くあった。
別にケニアで何をする(した)わけでもないのに、マライ族の伝統衣装マサイ・シュカを物色。
マサイシュカとはあの赤いチェックの布だ。戦闘民族マサイ族の衣装。着るだけで強くなりそう。
色んなパターンのチェック柄を前に悩むチムリ。それを服飾専門のサエがぶっこむ。
「え~これダサいじゃん」「マサイシュカじゃなくてダサいシュカだよ~」
私(え~~~~!)

そんな中ボーディングの時間になるのだが、飛行機が遅れさらに2時間ウィンドウショッピングの時間が作られる。そして酒とタバコとおみやげ物を見るのにあきる・・・
チムリは結局シュカを買わなかった。

そんなこんなで一路ザンビアへ。飛行時間は4時間ぐらい。これが結構長い。
東アフリカを出る=海外に行く気分。

やっとこさ着いたザンビアはルサカ。空港ではザンビア隊のカズヤさん(仮名)が出迎え。3月に成田で別れて以来の再会。

4人でルサカ市内へ。
そして、何よりも先に直行したのは・・・
ウガンダには無い、あのアレだった。