Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2013/10/05

協力隊員を振り返って(ナルバーレ廃刊)

協力隊員としての活動が終わって6ヶ月がすぎた。

「協力隊員」という肩書きから綺麗さっぱりと離れるために冷静に振り返りたい。今回は2本柱の一つNGOスタッフとしての活動を振り返ることにする。 





目次
1赴任当初の不必要性の認識
2スタッフ定着率から得た活動のヒント
3スタッフトレーニング
4トレーニングの期待効果と実施
5リサーチの不実行
6帰国後半年に振り返って


赴任当初の不必要性の認識
 赴任当初HIV/AIDS予防啓発活動ワークショップの手伝いと称してつれ回してもらった。次第に「ついて回る」だけでは自分が満足できなくなってくる。ついてくだけでは学びはないし、時間の無駄だと思いはじめた。なによりそのワークショップはうまく回っているのだ。手出しするところはないように見えた。海外の大手NGOの支援を受けて行われているワークショップで金銭的支援だけでなくプログラムそのものがパッケージされたものとして送られてきている点も理由としてあると後々理解した。

 配属NGOの外側で活動をして村人との接点に切望していたボクだったが、HIV/AIDS予防啓発活動以外のところで自らプログラムを立ち上げて行うまではできなかった。
 理由は2つ。まず時間的制約。生徒の面倒を見ながら村人と関わっていくことは難しかった。そして二つ目は(こちらが主な理由)代表の許可を得られなかったこと。組織の人間である以上その組織の名をしょって活動することになる。ボク(協力隊員として)は「村人と直接関わる」ことを最優先にしていて、NGOのターゲットグループや活動分野と関わる必要はないと思っていた。NGOの幅や機会・ポテンシャルを広げるという意味でも「外部者が内部者になる」ことのメリットはあるんじゃないか。ただ、その「NGOのターゲットグループや分野と関係のないところで活動する」というところに代表はひっかかりを感じたらしく、話し合いは平行線をたどった。最後まで。




スタッフ定着率から得た活動のヒント

赴任して1年と3ヶ月が過ぎた頃、セレスティン(最も信頼していた同僚)がうちのNGOを離れていった出来事を機に「個人の持つ暗黙知やスキルがその組織に定着・システム化する前に(形式知になる前に)、その個人は組織を離れてしまう」のではないかという仮定にいたった。

だったら、組織ではなく、個人に何か残る形でアプローチするほうが合理的だ。ボクは村人と直接関わることをあきらめ同僚の能力を上げることを考えた。

「何を?」の前に、ボクのNGOの問題点を上げてみる。
・継続したドナーを得ることができていない。プログラムベースの単発ドネーションばかり(ウガンダのローカルNGOはどこもこんなかんじだが)
・スケジュールどおりに物事が進まない(これはウガンダどこでもいっしょ)
・印象だけで物事を語る同僚たち
・専門性の欠如。「HIVのことを知っている」と言っても専門家ほどの知識を持っていない。にもかかわらずそのプロジェクトを進めないと行けないジレンマをもった同僚たち

そして、これから先のNGO業界の展望をウガンダに照らし合わせて考察してみる。現在の南米のトレンドがこの傾向にあるようだ。
・ウガンダへの援助総額額は減る
・減少したドネーションはより大きなインパクトを作ることのできる組織へと注がれる(その組織は受取額を増やしていく)
・プロジェクトベースの援助ではなく年数などの期間によってパートナーシップが築かれる。
・援助分野でみると意思決定プロセスへの参加(マイノリティの政治参加など)。社会経済権利や経済成長分野へ資金が投入される(BOPビジネスなどがこれにあたる)
・ある程度の経済成長を遂げるとNGOは「貧困」問題から「不公平」問題解決へとシフトしていく。

そんなトレンドがウガンダへ訪れた時に、ウチのNGOは生き残っていくことができるか。HIV/AIDSという専門分野は間違っていない。しかし専門性が必要であり。今後の生存率は極めて低い。ウチのNGOを弾力のある組織にするに何が必要か。
・ドナーを獲得する能力
          ロジカルに物事を考えられる力
          説得力のある計画書の書き方
・村の現状を引き受けて、ニーズを引き出す力
          リサーチ手法と問題点の洗い出し方法

スタッフトレーニング



<計画書トレーニング>
     コンテンツから説得させるための文章の構造などを紹介。さらにロジカルで説得力のある計画書には数字が必要です。じゃあ数     
     字の採ってき方(そして先進国NGOが一番求めているものですよ)を勉強しましょう。

<リサーチトレーニング>
     事実質問で問題の本質をつかみつつ、集めたデータを整理・精査して、計画書に取り入れよう。

トレーニングの期待効果と実施 
 トレーニングが終わるとコネやツテ以外の方法でドネーションを引っ張ってこれる人材になってくれるだろう。また、彼らが何かやろうと思ったときに「何から始めたいいかわからない」状態から「よし、これから始めよう」という状態になっていると予測した。物事を動かす時のファーストステップを手に入れられると。副次的な効果としてさらには自分の住む地域の問題点(問題意識)を得ることができ、NGOワーカーとしての軸を持ってもらえるんじゃないか。と期待した。

 計画書のトレーニングは全5回。グループワークでやってみたり、実際の申請用紙を使ってリアリティをもって考えることができるようにしてみた。「きたい人だけ、来て。強制はしないから。」そう言って始めたトレーニングは13人いるスタッフのウチ5人は確実に来てくれた。そして信頼できるスタッフを2人、手に入れることができた。これが大体去年の7月から12月までにやった活動。計画書のトレーニングが終了した時点で任期が残り3ヶ月で実際にリサーチをするには少々スケジュールは厳しかった。しかしやる気のある同僚もいるしできると思っていた。

リサーチの不実行
 リサーチを行うための準備はすべて終了していたが、結果的にリサーチは行わずに任期を終えることになった。質問票の作成、県庁への許可申請書、予算書の作成、訪問先の村の特定(500農家)。実行できなかった理由も2つある。まず時間。ボク自身に時間はあったが、同僚たちになかった。ウガンダ人の言う「時間がない」である。日本人的には「ある」のだが急がせなかった。急がせなかったのはボクが尻を叩いて急がせたところで学びにはならないだろうし、集めたデータの分析まで教える時間があるとは思えなかったから。そして最大の要因またまた代表とのすれちがい。これも理由はNGOの外側で活動する時にストップがかかったのと同じ理由で代表の許可がおりなかった。実は赴任後、半年でリサーチの計画を立てていた。そのときは金銭的理由でNGOが予算を出せないということで動かなかった。今回もおなじく金銭的理由でストップがかかりそうだったので、すべてボクのポケットマネーで行うと公言してからは金銭的トラブルはなくなった。ちょっと笑ってしまうエピソードなんだが、ボクがリサーチをストップさせると決めた時、同僚たちに「準備はすべて整ってる。あとはやるだけだよ。自分たちでやってみるのもアリだよ」と言った。すると熱心に参加してくれた同僚が「でもお金がない」と。

帰国後半年に振り返って
 同僚たちに伝えたかったこと。それは「お金がなくても、できることはあるよ」。全く伝わらなかっただろう。彼ら自身っても難しい立場にいる。というのはNGOの職員であり村人であるから。村人であるがゆえに主観的になりがちで、それがNGOの職員として一歩引かなければならない場面で引くことを許さない。だから彼らの書く申請書は20ページの長さで前半10ページはNGOの歴史や組織について延々と書かれている。もちろん文化背景がそうだからという理由付けもできるが、援助の世界は欧米の文化によって支配されている。それがいいことなのか悪いことなのかボクにはわからない。しかし de factoである。

 代表に関して彼はボクのボトルネックだった。反省点は今では明確だ。ボクと彼との間で何一つのゴールやビジョンが共有されていなかったことだ。例えば高校のサッカー部の部長と副部長がいたとする。部長は県大会ベスト8目標にしていて、一方副部長は優勝をだったとする。この目標の非共有は考え方や行動に差異を産み、相互不理解へとつながっていく。
 ただ、共有しようとしてできたか?それも難しいと今でも思っている。代表は組織の存続を第一に考えていたし当然「お金」を一番に考えていた。もちろんNGOの目指すビジョンを作るために。一方ボクはといえば二言目に「金」という代表と理解し合えないと決つけて「ドネーションを得るために、孤児の生徒たちを利用している」と嫌悪していた。今でもNGOの子供たちがうつったきれいな写真は好きになれない(ボクもブログに載せたりする矛盾をもちながら)。ボクはもっと”きれいな”国際協力の姿を想像していた。つまり代表は現実主義的でボクは理想主義的だったと言い換えることもできる。ここには正しいも悪いもない。「お金がない」という現実を前に「金がなくてもできることはある」と言っても説得力はない。それを実現しようと試みたが2年では短かったし、失敗に終わったといってよい。そして失敗は必然だったともいえる。

 


 「失敗」であった目標点に達することができなかったということで、ゼロではなかった。失敗ゼロではなくしてくれて、今でも前向きにとらえることができているのは同僚のおかげでだ。彼らに感謝してもしきれないくらいだ。生活面でも助けてくれたし、ボクのやることを助けてくれたり助言をくれたりと彼らなしにはさっさと帰国していただろう。今でも連絡を取る元同僚は何人かいて、かけがえのない出会いをもたらしてくれた隊員活動だった。




 失敗を回避するために妥協をしてドネーションを引っ張ってきていたらどうなっただろう?感謝されるだろう。NGOの命ものびるだろう。しかし根本的な解決にはならない。今思うのは「協力隊員ごときが組織や国際協力の根本的な解決はできない」と言うこと。配属先NGOの問題にしろ国際協力全体の課題にしろ、2年で好転できるほど要因は浅いところにない。
 2年間できるかぎり考え、行動し、待った。失敗はしたが得るものは多く、かけがえのない経験をした。経験をしただけでは何も変わらない。これからはこの経験を振り返り考え、国際協力全体の動きや考えと照らし合わせながらよりよいものを模索していく。そうすることでこの2年間の失敗の意味が出てくるの。失敗はただ失敗である。しかしそこから学ぼうとさえすれば、必ず価値あるものになってくれる。




これにて、Nalubaaleは廃刊となります。ここまで読んでいただいた方々本当にありがとうございました。これからも国際協力の模索を続けます。もしご興味がありましたら近々リリースされる新しいブログへ足を運んでいただければと思います。このブログでもアナウンスさせていただきます。2年と半年ありがとうございました。