Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/11/30

カンパラマラソン1

 ウガンダにレジャーは少ない。
美術館や博物館、映画館の数が文化的水準の高さを表すものとするのなら、悲しいかなウガンダは乏しい。遺跡もほとんどない。
隣国のエチオピア・ケニアに比べると見劣りする。
今エントリーはそんな「文化」なんて高尚な話題ではないが(一大)イベントがあった。

MTNカンパラマラソン
MTNとは南アに拠点を置く電話会社。NTT(ドコモ)見たいな感じ。ただその守備範囲は西はガーナ・コート・ディ・ボワールから東はアフガニスタン。南はザンビア・南アとアフリカ、中東をカバーするどこでもDo Communicationができてしまう。ビックな会社。
そのMTNがスポンサー・主催をするマラソンが、カンパラマラソンだ。

レジャーが極端に少ないウガンダで私が待ちに待った一大イベントがこれ。
今年9月にあるはずだった、トライアスロンが中止になり、「他になにがあるよ?」と気合十分。

私を含め隊員の出場は6名。内2人がハーフ。
もちろん私はフルマラソン。
約1年ぶりのレース。フルは1年半ぶり。ロードレースは初めて。
さらに開催日程がいろいろ前後し、本決まりになったのが2週間前。
練習不足、調整不足で当日を迎えた。

当日は6時50分スタート。

前日から、「調整に40分ぐらい流して~」「アレ食べて、コレ飲んで」「コレ持って走って、アレ着て走って」とワイワイ準備をすることが楽しくて仕方がなかった。だって、今までのレースは全部自分一人で準備してたから。
さびしがりやです。

それはさて置き、当日は5時起き。
6時20分頃にスタート地点のコロロ・エアストリップに到着。
ワサワサとあわただしい中、したく。
6時40分ぐらいにハーフを走る、隊員と先にスタート地点に向かったフル出場の3人のもとへ。
が、ヒト・ヒト・ヒト。見つからない。
そして、周りは10kmにエントリーした人たち。「21kmはあっちだ」と教えられ。私もノコノコついていった。
そして「フルの選手たちはどこにいるんだ?」とハーフに出るウガンダ人に聞くと「フルはもうスタートしたぞ!」
私「は?まだ47分なんですけど!」
スタート時間前にスタートする意外性の発揮。アップも満足にしてません。
当然私は一人ぽつんと最後尾からのスタート。
「ま、いっか。誰に抜かれるわけでもないから、楽に行こう~。時間は自分の時計ではかっとうしー」とのんきにスタート。

ルートは前日に地図をもらったばかりで頭に入ってない。
道案内がいないと全くわからない・・・
でも、黄色いシャツを着た誘導係がいたので大丈夫。

で、走ってるとなにやら後ろからパトカーのサイレン音。
「事件か?」

パトカーが私の脇をすぎ、白バイがすぎ、二台に電光掲示板をのっけた先導車がすぎ・・・。
ハーフの選手たち。

このマラソン。ウガンダのナショナルチームが出場しており、隣国の招待選手も出場してる。賞金もでる。フルマラソンの優勝賞金が16,000,000Ush。約40万円。

世界屈指のランナーが私の横をズバッと集団で抜けていく。
一瞬世界のスピードについていこうかと思ったが、次の瞬間には心は折れた。
1km3分10秒台で走るスピードは見るだけで十分だった。間近で見られただけでよかった。

ハーフの選手にドンドン抜かれながら走る私。

ペースがわからない私は5kmか10km地点でペースを見ることに。
でも最初の距離表示は12km。 「うわ~~~中途半端~」と時計を見るとなんと58分!
1km5分を切るハイペース。でもそんなペースで走ってるつもりはない。

「ん?おかしいぞ」と思いつつもちょっとウハウハな私はレース中盤に入っていきます。

つづく。

2011/11/24

ウガンダの先入観。それは日本人みんな空手ができると信じて疑っていない。

先週、Mityana(ミティヤナ)県Ssekanyonyi(セカニョニ)で日本文化紹介イベントが行われた。私は他の隊員たちと音楽隊を結成。
普段、生の音楽に触れることの少ない小学校の子供たちにいろんな種類の音楽に触れてもらおうと、ア・カペラやリコーダー演奏などをした。

イベント全体の詳細はリンク先を見てもらえるといいと思う。

なので、今エントリーの主人公は空手を披露した同期隊員のキムニイことチムリ

貸切タクシー(マタツ)で2時間ほどして開催地の学校に到着。


サングラスをかけたチムリ登場に、子供たちビビりまくり逃げる。














イベント開催の挨拶、ブース準備もそこそこにチムリが道着を着ておもむろにストレッチ。

そして型を見せ始める。

バッ!バッ!!とこぶしを振る音に子供たちが吸いよせられる。

あっという間に数人が弟子入り。

その光景は、まさにカラテキッド

子供に真剣指導するチムリはまるでノリユキ・パット・モリタ

子供たちは「師匠!」といって彼のそばから離れなかった。

そしてお待たせ、演舞の時間。

全校生徒の前で型と板割りを疲労するチムリ。

ガチでやる気。

ところが板が割れなかったんだな、これが・・・

正拳突きを1度、2度、3度・・・

なんとかポロっと板が割れた。

一発で割れずスンゴイ悔しかったのか、チムリは中途半端に割れた板をヒザでバキ!っとやってた。

いい感じに師匠してたのに、面目次第もなかったのでした。
その後、子供が小さく割れた板をさらに割ろうとこぶしを立てていたので、あわてて止めたのは言うまでもない(笑)


ミヤギさんと、ダニエル

2011/11/17

セネネキャッチャー

私の住んでいる地域のマサカはウガンダでも有数のセネネ産地。

となると、前回エントリーの高級バッタ食材、セネネはいったいどうやって採ってるのよ?となる。
じゃあ、「行ってしまえ」と行ってきました、セネネ採取場!

 セネネは夜に光を使って集めて採る。
雨季になると夜な夜な工業地帯の様にコウコウと光をはなつ採取場。
今回初めてその中に足を踏み入れた。

採取方法はいたってシンプル。
ドラム缶をライトを中心にして並べ、その上にトタンを立て掛ける。
そうすると光に寄せられたセネネがトタンにぶつかり気絶
トタンを滑ってドラム缶の中へ。というわけだ。

近寄ってみると、思ったよりも大きなドラム缶とトタンの高さに圧倒される私。
働いているセボ(男性)に一日にどのくらい採れるのか聞いてみた。
するとドラム缶3分の2は採るというのだ!
まあ、大げさに言っているだろうから、「(多い時で)ドラム缶3分の2」と解釈したほうがいいだろう。
前回エントリーでコップいっぱいが6,000ughというのだからドラム缶1缶でいったいいくらの儲けになるのだろう。

電気代がかさむと思うが、それでも1日で余りあるほどの現金を手にすることができそうだ。

そういう今日、うちの村は停電なんですけどね・・・

季節モノのセネネ。
毎日採れるわけでもないし、毎回大量というわけでもないだろう。
それでもウガンダでの季節モノ産業の一翼を担っていることに間違いはないはずだ。

それはまるで、秋の栗。冬のカニ。そして雨季のセネネ。

あとアリとかも季節モノ。

ウガンダの季節モノをもっと探してみたい。





2011/11/08

グルメレポート Senene丼(セネネどん)

世界にはゲテモノに分類される食材がたくさんある。
そしてそれは文化圏で全く異なるもの。
日本の代表的ゲテモノ食材はなんだろう?
生魚?サカナの卵? くじら?
それを決めるのは、それを食べる人。

ウガンダの食材で日本人がゲテモノと言うのはきっとバッタ
日本にもイナゴなんかあるけど、やっぱりゲテモノ

セネネと呼ばれている。

セネネにもシーズンがあって、セネネが市場に出回ると雨季の真ん中にいることを教えてくれる。

この時期はよく調理済みのセネネが道端で売られている。

それでね、グルメレポート的には自分で調理と思って、初めて生きてるセネネを買ったの。

まず驚くのはその高級感。
コップいっぱいで6,000Ush(約240円)
ちなみに米1kgが3,500(約140円)だからその値段の高さをご理解いただけるだろう。

私はコップいっぱいも食べれる自身がなかったので半分にしてもらった。
そのセネネでセネネ丼を作ってみた!

材料(1人分)

米   1合
セネネ 半カップ
塩   少々
醤油  少々








調理方法はいたって単純。
ゴハンの上に煎ったセネネをのせて、醤油をかけるというもの。
セネネを煎ってる途中に塩をふり、カリカリになるまで仕上げる。
緑の彼らが、ちょっと茶色くなるまで。

親子丼に勝るとも劣らないタンパク質豊富な丼になった。

セネネはエビのような味。さくさくとした食感。

桜海老ゴハンを食べているようにかきこんじゃったよ(笑)


         ごちそうさまでした。