Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2012/11/27

キリマンジャロ登山 4th day&5th day 


4th day
3860m Baranco Camp 10:00
4000m Karanga Camp 13:22
総歩行距離5km

5th day
4000m Karanga Camp  9:45~
4600m Barafu Hut      ~13:00
総補強距離4km



バランコウォールが朝の光の影のとともに立ちはだかった。4日目のスタートはこの崖を這い上がるところからスタートした。バランコウォールを見上げると足場の狭いルートをクライマーとポーターたちが尾根の上まで長い列を作っていた。この場所ではトレッキングポールはお休み。手を使いながらよじ登った。ここで滑落して死んだクライマーもいるし、ポーターもいる。アタック同様に難所だ。

そんなところでもポーターたちは頭に大荷物を抱えて軽々と登っていった。ガイドにコック、ポーターと3種類のシゴトをキリマンジャロの山の男たちは請け負っているのだが、4日目にもなると、「どうやら、序列のようなものがあるらしい」とわかってきた。アウグストに聞いてみた。


 「私はポーターを2年、コック2年、サブガイド2年、それからメインガイドになった。ガイドになるにはポーターとサブガイドは必ず経験しないといけない。クライマーの命を預かる仕事だから。

そう語る彼の落ち着いた姿に、責務を果たす使命感のようなすこし薄いぐらい影のようなものと、数々のクライマーをピークまで導いた自信からにじみ出た光のようなものが見えかくれしていた。
 
 ポーターたちは上限20kgの荷物をもつ。昔はもっと重かったらしい。ボクらクライマーの荷物をもつポーター。料理用のガスボンベを頭にのせるポーター。キャンプ用のダイニングテーブルが突き出た土のう袋を頭にのせるポーター。新米ポーターほどガスボンベやテーブルなどの運びにくいものを運んでいたように思う。なぜ、こんなきつい仕事を選んだのか。それは彼らが神の家の近くで生まれ育ったからだろう。アウグストに「それだけ経験と体力があったら、クライマーとして高くて難しい山に挑戦したくならないの?」と聞いた。

「ん~。私はキリマンジャロが好きだから。

Porter
その答えがすべての解答なのだと思う。

メインガイドになるには足掛け6年。サブガイドのひとり、ムリは3年でサブガイドになったらしい。彼の場合、サミットポーター、頂上のクレーター内でキャンプをするクライマーのサポートをしていたらしい。大荷物を抱えて5900mへ登っていく。ちょっと別次元の話だ。とはいえ、すべてのメインガイド志望のポーターがメインガイドになれるわけではない。言葉の壁を超えなければならない。ご存知のとおりタンザニアではスワヒリが公用語。ウガンダのように(学校で習うのかもしれないが)英語が日常的に使われていない。ムリはちょっと英語が苦手だったようだ。バランコウォールを軽々と超えていくポーターたちには言葉という別の壁が立ちはだかっている
ポーター。ルートは様々

一日伸ばした日程のため、ボクらはカランガキャンプという尾根の上で一泊。5日目にアタック前の最終キャンプ地、バラフハットへ高度を上げた。バラフハットはカランガキャンプ同様尾根の上にある。スペースは広くない。しかし平原の向こう側に形が印象的なマウェンズ峰が肩に雲をかけて待っていてくれた。到着したのが昼過ぎ。日程を伸ばさなければ、夕方に到着その夜アタック。もし一般的な日程だったら、かなりきついアタックになっていただろうとおもう。ボクらどうように上を目指すクライマーが集い、アタックを終えたクライマーたちが疲れと充実の入り混じった顔でバラフへと降りてくる。9時間後、いよいよボクらもピークアタックする。




2012/11/18

キリマンジャロ登山~3rd Day~


3800m Shira Camp    8:50~
4630m Lava Tower    12:46
3860m Baranco Camp  15:26

総歩行距離15km

 キボ峰の向こう側から現れた太陽に向かってボクらは出発した。前日の短い行程のおかげで全員の足取りは軽い。高度順応のこの日は、稜線をいくつか超え4600mのラバタワーまで登り、またいくつか超えながら3800mまで降りていく。キボ峰を常に左手に見ながらその横を抜けていく。

 高度順応は高山登山になくてならないプロセス。物事には一見、無駄とも思える行程を必要とすることがる。しかも登山の場合その無駄さ加減が顕著だ。つまり結果(登)は同じでもプロセスの難しさや違いによってクライマーの能力や技術を差別化するということだ。その「結果」や「達成感」はそのルートを選んだ本人にしかわからない。だけど、この過程や達成感は共有できるものだと信じていた。そしてそれは、多くの事柄においても同様だと信じていた。この時までは。

 ボクらのパーティはヘザー&湿原(Heather&Moorland)エリアを超えてアルパインデザート(alpine desert)に入っていった。植物が極端に少なくなり、砂漠の灰色と雲海と雪の白が世界を覆っていた。気温は寒く、風も強い。ソフトウェルジャケットをアウターにフリースをインナーレイヤーに着込む。グローブにニットキャップ。日差しは強く紫外線が容赦なく降りかかった。日焼けどめは必須携行品だ。4000mを超えると、いやがおうにも呼吸を意識して登らなければならなくなった。深く、大きく。ガイドが作るペースはじれったいほど遅かった。

 この日はバランコキャンプ泊。進む先にはバランコウォールと呼ばれる巨大な壁が立ちはだかる。その左手にはキボ峰が間近にせまっていた。アウグスト曰く「このサイトが一番きれいなんだ」。

 夕飯はいつも7時頃。メニューはスープと炭水化物、メインディッシュ、付け合せの野菜。これがうまい。山でこのレベルの食事ができるというのは本当にしあわせだった。夕飯後はいつもチャイを飲みながらトランプやウノをしながらすごす。活動のことから何気ないことまで、気心の知れた人たちと話をする。今思えば、登頂以外に、それが醍醐味の一つだった。そしてその人間関係があってこその全員登頂だったと思う。



テントの外にでると、星ぼしが所せましと夜空をうめ、こぼれたミルクが大きな河を作っていた。

2012/11/15

キリマンジャロ登山~2nd Day~

3000m Machame Hut  8:45~
3800m Shiera Camp  ~13:40


総歩行距離9km


 ボクは悲しかった。達成をしたからだ。いつのころからか、やりたいことの一つだったキリマンジャロ登山。挑戦するという高揚感も、期待感もなく、ただ何か虚無感というか喪失感を感じていた。
 うっそうと生い茂る森を進みながら、この喪失感はなんだろうと考えてみた。
 一つは抱いてきた「やりたいこと」が消えるという喪失感。それを、他のメンバーに伝えると、「やりたいことができるというだけでも感謝すべきものだよ~、誰でもできるわけじゃないんだから。」そのとおりだ。もう一つの虚無感。無力感だ。それは僕が何かのスキルを手に入れたり、そのために努力をしたきたわけではないからだ。キリマンジャロ登山は勝ち取ったものではないのだ。ただ、やりたいことを自分の責任においてできる年齢になったというだけだった。「アフリカ最高峰に登りたい」と思い描いた頃から何も変わっていない。ただ無為に年を重ねただけかもしれないという時間に対する喪失感でもあった。
 でも世の中のこと大半がそんなものかもしれない。タバコや酒は精神的に子供でも20歳になればコンビニで買うことができる。

 と、そんなひねくれたものの見方をしてみたものの、ある帰結点にたどり着く。

こだわりすぎ。

 こだわることで、道すがら端に咲く花を見落としたくはなかった。それは景色だったり、周りの動向、自分の感情だったりもした。だけど、山にいるときぐらいそれをなくしてみるのもありじゃないか。でないと、それこそ道端の花を見落としてしまう。

 前置きが長くなったが、2日目は午前中だけの行程。
 数字上楽に見えるが、足にくる行程。初日に比べ、斜度も高く、すべて登り。加えて、酸素が薄くなる。これからもっと薄くなるとはいえ、「薄くなり始め」は筋肉が驚く。

 登り始めの一本道が大渋滞。周りはポーター、クライマー、ポーターだ。8月はハイシーズン。登りやすい時期の上に、欧米では夏休みだ。10人以上の大所帯のパーティも入れば、父と息子の2人パーティなど様々。その横をポーターたちが軽々と登ってゆく。

 ボクは静かに、厳かに頂上を目指したかったのだが、喧騒があたりを包み込む。自分の登りたいスタイルではないと、心が乱れる。楽しくない。しかし山という場所がそうさせる力を持っているのだろう、発想の転換をしてみる。昨日マチャメゲートをくぐった者はみな家族なのだ。一緒に神の家へ足を踏み入れたお客なのだ。

 そう思えたことで急に別パーティとの仲間意識が芽生えてくる。

 辺りには、ガスが出てきた。景色は見えない。光が乱反射する中である白人女性が声をかけてきた。

「調子どう?楽しそうだね。昨日、キャンプサイトでムービーとってたでしょ?」

 ボクら4人は記録用として動画を撮影していた。内容はユーモアに富んだもの。クライマーが周りにいる中で撮影するにはちょっと赤面してしまうぐらいの。

「ありがとう。君もキリマンジャロ楽しんで。」と快くかえした。

 山は「いる」こと、"being"が楽しさの源だとはいうが、その状況を楽しめてこそ、「いれる」ことを感謝できる。

 ガスが晴れ、景色を臨めるようになってきた。いつの間にか一行は熱帯雨林から、木が少なくなるヘザー&湿原(Heather&Moorland)エリアへ差し掛かっていた。木は低くなり、ゴツゴツした岩が目についてきた。見上げると、キボ峰がボクらを待ち受けていた。見下ろすと、雲の上に出ていた。遠くにはタンザニア第2位の山メールがその頂をあらわにしていた。

 そんな時、ユリちゃんが高山病予防薬の副作用でダウン。山に入る前に冗談半分本気半分で「リタイヤしたらせつないよねー。」「先行くよ。とも先行って。とも言いづらいよねー」なんて言ってたら、その気まずさが現実味を帯びてボクと光成とコナンを襲う。そして、困惑も。
 RPGで例えると、勇者・盗賊・格闘家は健在なのに白魔道士がやられた、なんとも敵出くわしたくない状態。ガイドたちが彼女の様子を見ているため、することがない。でも不安。仕方がないから、カメラに手が伸びる。いっぱい写真を撮った。

雲海の向こうに見えるのがメールー山
 幸い彼女は30分ほどひとしきり吐くと、なんとか歩ける状態まで回復。歩をすすめることができた。この日は昼までの行程だったので、余裕を持ってこの日の行程を消化した。


 午後は遊ぶ時間。

 散歩をしたり読書をしたり。そして、ここShiera Campからシーラ峰が臨める。キリマンジャロには3つの峰がある。
 最も高い中央のキボ。2番目に高く(タンザニア側から見て)東側に位置するマウェンズ峰。そして西側にあり、最も古く、火山活動によって最初に隆起したシーラ峰だ。

 太陽はキボ峰を赤く染め上げ、クライマー、ポーター、ガイド、人種、立場、経験、すべてを無関係に山にいるすべての人間に何らかの感慨を起こさせ、シーラ峰の向こう側へと姿を消した。

シーラ峰に沈む夕日
 まあ夕飯時、すっかり回復したユリちゃんから男3人は「薄情者」と言われてしまうのだが・・・

2012/11/10

キリマンジャロ登山 ~1st Day~


1900m Machame Gate  11:00
2400m Lunch         14:30-15:10
3000m Machame Hut   17:30

総歩行距離18km

Kilimanjaro is a snow-covered mountain 19,710 feet high, and is said to be the highest mountain in Africa.  Its western summit is called the Masai "Ngaje Ngai," the House of God.  Close to the western summit there is the dried and frozen carcass of a leopard.  No one has explained what the leopard was seeking at that altitude.

~The Snows of Kilimanjaro~ Elnest Hemingwey 

 マチャメゲートで入山手続きも早々に、歩き出す。「おじゃまします」。初めて来る友人の家で靴を脱いでそろえるように一歩目踏み出す。そこにはBlue Monkeyがボクらを出迎えてくれた。「神の家へようこそ」と。ボクらは静かな森へと足を踏み入れた。覚悟と畏怖とを抱きながら。


 頭上の木々は山を覆い隠す。雲は空を覆い隠す。だからというわけではないが、景色を楽しむというよりはガイドたちとのコミュニケーションに注力していた。彼らとの信頼関係なしには山は楽しめない。アウグストと登山靴が同じだった。それをきっかけに山道具の話で盛り上がった。彼らはボクらに「どの山に登ったことあるの?」と山での経験値を聞いてくる。こちらの力量を探っている。それが心地いい。



そうこうしているうちに、ボクらは昼食のポイントについた。その辺一帯でクライマーたちが食事をしていた。弁当を広げるパーティ、ポーターが用意してくれた椅子に座りくつろぐパーティ。そして何やら一番賑わっているポーター集団が目に付いた。彼らは歌いながらケマリのようなもので遊んでいる。「うわ~テンション高いなー。こんなポーターのところは大変だろうな・・・静かに登りたし」なんて思っていた。

 ボクらの食事をする場所はイスにテーブル、テーブルクロスまである見たところ一番立派なもの。「うわ~豪華」山での贅沢は「どれだけ余計な手間をかけ下界と同様なことができるか」だとボクは思っている。間違いなく贅沢だ。用意されていたお茶で体を温めながら食事を待つ。キリマンジャロではコックも付く。彼が一切の食事を用意してくれる。そうすると食事はあの一番にぎやかなポーター集団から運ばれてきた。昼食はフライドポテトと魚のフライだった。これがうまい。

 これから彼らのサポートを受けながら5000mを超えていく。

 物事とは、いつも思い通りにはいかないものだ。

 それから、2時間ほど登った、3000mのマチャメハットにこの日はテントを張った。




2012/11/05

キリマンジャロ登山~移動篇~


 加速する機窓の右手にビクトリア湖が見える。世界第3位の淡水湖だ。起点の町モシへと飛び立つ。フライト中、左手にはメルーとキリマンジャロがただ静かにそこにあった。ご存知のとおりキリマンジャロはアフリカ最高峰。メルー山はタンザニア第2位の峰だ。

 ボクは高ぶり、抑えられないものを感じていた。意気込むボクをよそにプロペラは回転を落としていった。

 キリマンジャロ国際空港に着陸すると、どこまでも続く地平が広がっていた。これが憧れ続けていたアフリカの大地。乾燥し、平らな大地が広がる場所。残念ながらウガンダではお目にかかったことが無い光景だ。ウガンダは赤道直下にもかかわらず緑豊かな丘陵地帯だからだ。大学時代の研究対象がタンザニアで、当時から憧れをもっていた。
 ゲートを抜けると旅行会社のスタッフが迎えてくれた。手にはボクの名のカード。「Kaito Ofuchix 4」。なんかカッコイイ。と思ったら「×4」ね。

そう、ボクらのパーティは4人。
ボク
光成(偽名)
コナン(偽名)
ユリ(偽名)

 ユリちゃんは山小屋でのバイト経験がある看護師。最も心強いメンバー。
 コナンは体は子供でも頭脳は大人でその知恵を活かして・・・ではなく、某国立大学野球部員でインテリマッチョ。体力はパーティ中No1だが筋量から一番高山病の心配があるメンバー。
 光成氏はメンバーの中、一番ひ弱(なはず)なのだが、高山病にならないというまさかの強みを事前登山のエルゴン(4321m)で見せつけ、メンバーからやっかみがられたダークホース。

 空港からモシタウンへは40分ほどの道のり。青空にキリマンジャロ峰がたたずむ。思ったよりタイラじゃない。google画像検索を今この場でしてもらいたい。ゾウやキリンが大草原でキリマンジャロを背にその生命を謳歌する。そんな絵が出てくるのではないだろうか。ウガンダに帰って知ったことだったが、その絵、実はケニア側から見たキリマンジャロなのだそうだ。
 どこかで見たことのあるキリマンジャロでなかったのは幸運だと思った。写真で見たことのある光景に出会ったならそれはもはや初対面ではないだろう?

 モシタウンで旅行会社へ直行。寝袋やトレッキングポールなどをレンタルする。そしてガイドと対面・ブリーフィングをする。ガイドの名前はアウグスト。物腰の柔らかい物静かな男だ。

 ブリーフィング後ホテルへ移動。それぞれのパッキングを済ませ移動の疲れをとるように床につく。ということはなく、前夜祭が始まる。「ウィスキールートだよ?」「ウィスキー買ってかなくてどーするよ?」と光成氏の発案だ。こういう時一番はしゃぐ最年長。

彼の口癖「人生で一回だけだよ?」。

そしてその夜の彼だ。これから5000mを越えようとする時にこんなことで大丈夫なのだろうか?



長く苦しくも、かけがえのない1週間が始まった。