Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2012/08/11

先生冥利

 先週で2学期が終わった。


1学期に引き続き、メインで担当したのはP3(小学校2年生に相当)の算数。

期末試験の結果は平均点22点アップ!!
1学期の26点から48点までになった。

これは、私のおかげ

いやいや、子供たちが頑張ったのが一番

ここで、その要因を紹介する。

 まず、1学期が平均26点しか取れなかった外的な理由として以下のようなことが挙げられる。
・私の英語に子供たちが慣れていなかった
・同時に私も子供たちの反応、できる子、不得意な子がわからなかった
・私の授業スタイル等、手探りだった

 そして、今学期点数がのびた外的理由は
・私のスタイルが成熟し始めた
・そのスタイルを生徒が理解しはじめた
・生徒の反応がわかるようになってきた
 わからなくても、Yesというのがこっちの子供だが、本当にYesなのか、なんとなくYesなのか、NoのYesなのかがわかってきた。

 内的要因、つまり授業内容を見てみると、1学期は以下の単元のみしか授業でしなかった。
・ケタ、位
・3桁の繰り上がり足し算
・九九

 もちろん、その他に集合などの単元があったのだが、ルガンダで説明することが中心になる単元は同僚にやってもらって、計算中心の単元だけを回してもらっていた。そして、それは2学期も継続して割り振りをした。因みに2学期は時計の読み方、より高度な集合をやっていた。

 なぜ20点以上も平均点が上がったか。
それは今学期やった授業内容で説明がつくと思う。
・繰り上がりの足し算(4ケタ)
・繰り下がり引き算(3ケタ)
・繰り上がり掛け算(3ケタ)
・分数・分数の差し残・引き算(分母統一)

 四則演算しか指導していないのだ。
 逆に言えば、四則演算(特に繰り上がり・下がり)が身についていないということだった。これは、赴任してからすぐに「ケタ」の概念がないことが原因とわかっていたし、九九を暗記していないことも原因だということもわかっていた。ただ、効果的に「ケタ」を理解してもらう指導法をみつけるのに赴任後2学期間もかかってしまった。

 そして1学期にケタを2週間かけて、ペットボトルのフタを使って、じっくり指導した。
・白いフタ10個=赤いフタ1個
・白いフタはPlace ValueがOne's
・赤いフタはPlace ValueがTen's


当時繰り上がり足し算をしても一桁の欄に2つの数字が入っていることはざらだった。
例:
   3 2 5
+     9 7 
----------

                                                                                        3|11|12

っていう具合に。しかし、1楽器でこれが改善された。

 また、1学期の「ケタ」→繰り上がり足し算→2学期の繰り下がり引き算・繰り上がり掛け算とうまく「できること」がリンクできている。

 そして、今学期の期末テストではほとんどの生徒の四則演算の正答率が上がっている。(正確な数字はとっていないが、採点をした感じでは70%は超えている。)

 しかしつまづいた事もいくつかあった。これから課題となるのは分数と掛け算だろう。
分数について未だに教え方が見えてこない。「2分の1と3分の1どっちが大きい?」と聞いても、3分の1と答えてしまう。紙をつかったり水を使ったりしみたが、うまくいかない。

 掛け算に関してウガンダの指導では九九を暗記をさせない。いや、むしろノートの裏に九九が全部載っていて、子供たちは見ちゃうよね。だからもう一度、暗記をさせないといけない。なぜならテストにそのチャートはないから。3楽器は3桁の割り算があるので掛け算の暗記は必須なのだ。
この2つの課題をクリアしないと、「できること」のリンクがとけてしまう。そうなると、元の木阿弥。ここはふんばりどころだ。

 また、全6教科中、5教科で平均点があがっているものの、唯一英語が下がっているのが気になる。これは担当の先生に言っておかなきゃいけない。

 体感として、「なんとか身になりつつあるな」といったところ。
ん~やることが多い。が楽しみになってきた。

2012/08/06

夢の国の現実


以前からブログで紹介しているが、うちは部屋が狭いのもかかわらず、多くのかたが訪れる。

他の隊員(授業を見学にきてもらっているが、私自身も参考になることがあるし、嬉しい限りだ)
ウガンダ人(特にシャン太はいつでも、ここは彼女の家になりつつある)
にわとり
ねずみ
コオロギ
ゴキブリ
クモ
へび


などなど。コウモリとカベチョロ(イモリ)は他の隊員どうよう一緒にすんでいるので、カウントしない。そしてこのなかで、一番私が嫌いな訪問者。ミッキーである。

他のどの訪問者よりも足音をたて部屋を物色する。(因みに最近蜘蛛の足音、コオロギの足音など虫の足音までわかるようになってきた)。ミッキーの狙いはバナナなどの果物か、コオロギなどの虫。
虫を狙うという意味ではカベチョロと生存競争をしているのだが、私という主がミッキーを敵視しているため、彼らはすぐに追い出される。

そして先週面白いことが起こった。

部屋でPCを使って夜中作業をしていると、ミッキーの足音がした。目を向けるとミッキーが堂々と立っている。「ハロー。ボク、ミッキーだよ!」とちょっと裏返った声で挑発してくる。「おまえ、くるなよ~」と話しかけながら私はホウキを手にして、この現実の4畳間から追い出そうとタイムングを伺っていた。夢の国はこの部屋の外にあるぞ、と。ところが彼はどういうわけが、「あれれ~、ボクの夢の国はどこだっけー」といいながら転がっていた1.5Lのペットボトルの中へ迷い込んでしまった。

そんなもんだから、ペットボトルをホウキで立たせて、フタしめちゃった。

そのままでは、うるさくて眠れないので、外へ放置。次の日の朝にはみまかられていらっしゃった。
これで、しばらくミッキーもミニーもうちにはこないはず。夢の国はウガンダにはないのです。
囚われのミッキー

2012/08/02

個の問題意識と最後の砦。もう帰る。任期短縮。


私の配属先は今学期(5月末)からスタッフが大幅に増えた。私を含めて全14人。

そして、私は大きな打撃を受けた。一番信頼していた先生が配属先をさることになったのだ。
それは以前このブログでも紹介したセレスティンだ。この配属先で一番尊敬していたし、彼となら仕事をやっていて気持ちが良かったし、一緒にしたいと思っていた人物だった。

「ここに3年いる。もう十分だ。」
彼はカンパラで別の仕事をするという。

 彼は教師として意気込みも向上心も持っていて、「授業の質向上ミーティング」の発案者だった。学校後に先生たちが次の日の授業を「あーしたほうがいい」「こーしたほうがわかりやすい」と言いながら準備をする時間。これはかなり画期的なもので、私自身「彼がいるなら」と安心していた部分があった。しかし彼が去った今、これを継続できるか。いや、復活させる気を他のスタッフへ思い起こさせることができるか。授業の質向上という点でポイントになってくるだろう。

 気がつけば配属先で3番目の古株になってしまった。1年と少しで。だ。私の配属先は人の出入り・移動が激しい。日本的企業社会風にいいかえれば「雇用の流動性」だろうか。

 一般的な話だが、雇用の流動性がなさすぎるのは産業を硬質化させるが、ありすぎるのも発展しない。
 それは、いち組織というレイヤーに落とし込んでも同じことが言える。
 ある程度の流動性を確保しつつ、一人ひとりが3年~5年は一つの組織に属することは組織の発展には不可欠な要素だと思われる。それなしには暗黙知は暗黙知として定着しない。形式知(マニュアル)とすることも一つの方法だが、その必要性の理解なしには形骸化するのがオチだ

 だから私はセレスティンが起こした「授業の質向上ミーティング」を他のスタッフに強要しないし、プレゼントもしない。その必要性を認識するようにファシリテイトするのが私の仕事だと考えている。

 そしてこのスタッフの大幅増員と過多な流動性は私にひとつの問題意識をもたらしてくれた。

配属先「組織」に何かを残そうとしても残らないのではないか?
という仮定だ。なぜならヒトが流動的すぎるから。

 サステナビリティとかよくわからないものを重要視するこの業界で、協力隊員としてサステナビリティを担保しようとすると「マニュアル作成」や「システム構築」というところに収まる。しかし先ほどの必要性の認識なしにそれは形骸化への一途をたどることになる。そうやって残されたものが、壊れたまま放置さる井戸や病院の中でホコリをかぶっている医療機器なのだろう。もちろんウガンダ人自身が必要性を認識することができたならば(加えてヒトの固定化が可能な組織ならば)マニュアルとシステムは大きな力を発揮しサステナブルに発展していくことが可能だろう。

 ウガンダ人が気づかないもの(必要性)を外部者としてプレゼントしていくことが私の考える協力隊員の仕事だとおもう。しかし同時に彼らが壊れ井戸を直そうとしないのは、必要ないからだとおもう。もし本当に必要なら自分たちで直しているはずだろう。ここにこそ隊員としての能力やアイディアを注ぎ込んでいく。

ではいち隊員として「組織」に何かを残すことができないならば、どうするか。
シンプルに「個」に残るものを提供していけばいい。つまり、黙知を。

 そして、その暗黙知を具体的にするきっかけがあった。

「カイト、ちょっと見てくれよ」と同僚が見せてくれたある計画書だ。

プロジェクトタイトルはPoverty Reduction Project。具体的には養蜂を50の農家へトレーニングすることでその農家の収入を向上させ貧困を削減させるというもの。

 15ページぐらいある大作だった。前半の5ページはうちの配属先の歴史とかだった。(こんなのいらないから!!!)イマイチ何がしたいのか見えてこない。数字がそこにないのだ。50の農家にトレーニングを行ってどれくらいの収入増を期待するのか。どの程度の農家が収入向上するのか。など具体性に欠けるものだった。そしてナゼうちのNGOがそれを行うのか。いまいち伝わってこない。

私は、
現在の月収が○○shsでこれを養蜂トレーニングによってハチミツを生産させて月収を○○%向上させる。5農家でもいいから具体性を持たせたほうがわかりやすいんじゃない?
とアドバイスした。

 このセレスティンが去ったことと、お世辞にもドナーを納得させることのできない計画書を読んだことで2年間の中心となることをやっと手に入れた。

 今活動の中心はこれで、ここでできる最後のことだと思う。(もし、ある時点で必要ないと言われれば任地変更)

計画書の書き方とニーズ調査の方法のトレーニングだ。

 説得力のある(ドナーがつく)計画書を書く必要性を認識させ、それを書くための考え方(暗黙知)を伝える。さらに、それを書くための根幹(本当に必要なニーズ)を拾い上げる技術(調査手法)を伝え、スタッフの問題意識をマクロからミクロへ移行させる。(スタッフ自身も村人なので外側としてコミュニティをみることが難しいのだと思う。)

 個の問題意識を持つことができた人間はどんな組織でも生き残っていこくとができるだろう。

そして、きっと気づいてくれるはずだ。
ローカルNGOワーカーとして不可欠な3つの能力に。
・コミュニティを見る能力
・ドナーを獲得する計画書を書く・スペシフィックに考える能力
・ファイナンシャル能力

これが私の最後の大仕事。

というか、この程度のことしか気づくことのできないのが今の私でその程度の能力しかもっていないということなのだが、ウガンダに来て改めて無能さを確認した。