Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/03/30

アフリカ大陸へ

2011年3月24日成田空港からウガンダへむけ飛び立ちました。

フライトスケジュールは
午後10時に成田からドバイ、アジス・アベバを経由してエンテベ空港へ到着しました。

総移動時間は23時間。

時差としては6時間しか離れていないのにアメリカに行くよりも遠い国です。


ウガンダに入り4日が過ぎましが、ウガンダの第一印象を少し。

飛行機から見えるウガンダは赤と緑にあふれていました。
エンテベに向かう前によったアジス・アババでは茶色の大地がずっと続くサバンナでした。
ウガンダは赤土の上に緑があふれ海のようなレイク・ビクトリアが広がっていました。
「アフリカ」とイメージするような平らな大地が広がっているわけでなく、緑色の丘陵地帯がつづいていました。

エンテベから車で1時間強のウガンダの首都カンパラの街はというと思った以上に発展しています。
高いビルも、スーパーもあります。

車社会です。排ガスも埃もすごく目がすぐにかすんでしまいます。

しかし、スーパーや主な経済はインドや南ア、など外国資本企業を主に見かけます。
自力で経済をまわしているという印象はありません。

これから、カンパラでの訓練が2週間ありますが、任地派遣まえまでには、少なくとも向こう半年の目標を決めたいと思います。

ちなみに、ウガンダ料理(マトケやポショ)はまだ食べていません(笑)

2011/03/23

訓練修了から派遣まで

22年4次隊は2011年3月11日に修了式を迎えました。
65日間の訓練を終え、それぞれの地元へいったん帰り派遣までのつかの間の休息と各自治体への表敬訪問、準備に取り掛かります。

ウガンダの場合出発は24日。13日間の時間がありました。
しかし、3.11/14:46
M9.0というとてつもない大地震が東北を襲いました。その影響で実質10日間の休暇となってしまいました。(地震については次回エントリーで。)

さて、この期間にしないといけないことは
表敬訪問
身辺整理
荷物の準備
です。

表敬訪問は希望すればどこでも行っていいわけですが、私は生まれ育った福岡県庁と地元の町役場へ行きました。 
10日では足りないぐらいの人に会い、話をし、しばしの別れを惜しみました。
荷物も必要なものが想像以上に多く、欲張ってしまいます。

この期間に、一度立ち止まりいろんなことをかみ締めて覚悟をつくってから出発したいのですが、そうする時間もあまりせん。
気持ちを落ち着かせる時間が必要です。
心に余裕がひつようです。

最近、考えたことは心の余裕は、勝手にあるものではなく、自分で作ることができるのではないのかと。
全ては、自分しだい。状況に流されない冷静さと懐の深さをつくっていけたらと思います。
残り1日を有意義に過ごしたいと思います。

2011/03/13

訓練所での生活

基本的な訓練所での生活は

午前
7時~      朝の集い
7時20分~   朝食
8時45分~  授業3コマ
11時40分~  昼食
午後
1時00分~  授業2コマ
3時10分~  講座

このスケジュールで週6日月~土曜まで。

講座は国際協力のことや任地での安全・健康管理のことなど必要になるであろう情報の共有がなされます。
毎日講座があるのですが、NGOで一年インターンをさせてもらったせいか、ビギナーレベルのことは大体知っているし、勉強している。それでもコレは!と思う講義も半分ぐらいあるので楽しい毎日を過ごしています。


この訓練は
・現地生活のシュミレーション
・協力隊同期の仲間作り
・国際協力の基礎知識の習得
・最低レベルの言語習得
以上をメインの目的としていると私は考えます。


勉強ができるという点もそうですが、何より価値観を共有できる人間がそこらじゅうにいること。
みんなと、仲間と話すのが楽しくて毎日ふもとのだけ温泉へ飲みにいってます。

国際協力のこと
協力隊のこと
JICAのこと
どーでもいい馬鹿な話
などなど、ここまで「同じだ」といえる人間が100人以上同じ場所で同じ時間をすごすことがすごく大切で大切で、絶対にかけがえの無い2ヶ月になるだろうと思っています。

この2ヶ月のすごし方でウガンダでのがんばり方やがんばれる量が決まってくるような気もします。
「NTC(Nihonmatsu Training Center)での仲間が世界各地で同じかべにぶつかっている」
と感じれれば、任地での苦労など苦労と感じない気がします。

今が現地活動の心の基盤を作る時期だと思って、がんばります。