Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/07/05

思考停止に陥らない

派遣後3ヶ月がたちました。
そして、次期の隊次、平成23年度1次隊が赴任してきました。
まだまだ知らないことばかりなのに、新米といえなくなるのは複雑な気持ちです(笑)
でも、2年たっても知らないことばかりなのかなと感じてもいます。

今はまだまだ活動でのアウトプットを気にするよりも、知識情報をインプットする次期だとは思います。
ただ、そのインプットは常にしていかなければいけないことかもしれません。

知ることについて、当たり前のことを。
無知の知とえらい哲学者も言っていました。知ることは知らないことの認識からはじまるのではないでしょうか。
その知らないことをいかに知るのか。自己の持っている知識・習慣との「違い」を体験・認識することで無知の知をしることができます。
その違いの体験・認識以外にも自らの無知をしる方法はあるかもしれませんが。

ウガンダでの生活の中で多くの違いを体験しています。
例えば嗜好品。

ウガンダ人は紅茶をよく飲みます。
紅茶の入れ方は粉末にした紅茶葉をスプーンのえで2から3杯コップに入れます。そのあとにサトウキビから精製された砂糖をたっぷり
同じコップに入れます。そしてお湯をそこに注ぎ、かき混ぜてそれを飲みます。
この紅茶の飲み方は日本とは違います。この違いの認識から「なぜ」を自問し始めることによって知を発展させることができます。

なぜ紅茶なのか。なぜコーヒーでないのか。
なぜ紅茶を粉末にするのか。なぜ砂糖を入れてで飲む人がおおいのか。

植民地時代の宗主国イギリスの影響からかもしれません。
コーヒーに比べ紅茶のほうが飲めるようになる行程が少ないからかもしれません。

「なぜ」を自問するとは知るべきことを再認識させてくれます。そうすることで正確な知識を身につけようとする姿勢を保つことができます。
「紅茶を飲むのはイギリスからの影響だろう」と決め付けることは簡単ですしその可能性は非常に高い気はします。
しかしそこでさらに「なぜ」と自問しなくなると思考停止状態に陥ってします。

中途半端に知ることは知った気になり、思考停止になります。
正確な背景を追求することがウガンダを本当に知ることにつながると感じます。当たり前ですけど(笑)

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