Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/10/03

援助の下請けその2

援助慣れという言葉をきいたことがあるだろうか?

明確な定義づけがされているわけではないようだが

海外からの援助を受け入れることが長く続くことで、被援助者がオーナーシップ(自助努力とも)を持つ意欲を失ってしまうこと
つまり何らかの働きかけを海外から行った場合に被援助者が「その事業の中心になるという精神」を失ってしまう状態をいう

こうなると、海外からの援助を期待して自分たちで何らかのアクションを起こそうとする人たちがいなくなる。
こういうことが、現場で目立ちはじめたことから「オーナーシップ」という題目が世銀が提唱したComprehensive Development Framework(包括的開発枠組み)の項目2に入ることになった。

実際、この援助なれを目の当たりにする。
ただ、この援助なれが度を越して援助依存といえる状態になっている。私の配属先NGOでは。


それはなぜかというとウチの配属先に仕事を回しているのが海外の援助団体・機関であり
その仕事というのはある種のモノポリー状態であるからだ。
それは前回のエントリーを読んでいただければお分かりいただけると思う。

でもね。

ウチの配属先をとおしたその先にある人たち。

エイズ遺児であり、学校に行けない貧しい家庭の子供たちであり、村の住民たちである。と私は思っている。

彼らには資源、教育や選択をする機会を得る機会がが少ない。それは間違いない。

その人々が現地NGOの顧客であり、サポートしてもらう人々であると私は思う。

「援助依存」の定義はわからない。
だけど、援助依存度は
現地NGOがどれだけ自分の顧客(活動の対象とする人々)の方向を向いて全力で活動しているか
によって測れるのではないだろうか。

某王手NGOからの委託ワークショップをするウチのスタッフ
次回はうちの配属先の援助依存の一例を挙げたいと思う。そして、先進国および国際援助機関の限界も知っていただけると思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿