Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2012/05/18

雨季

最近、毎日雨が降る。
雨季はあまりすきではない。


なぜなら授業ができないからだ。担任をしているP3の教室に屋根はない。
なぜならうるさいからだ。部屋にいてもトタンをたたく雨音で何もできない。
ついでに、他クラスで授業をしようにも雨音でうるさすぎて授業にならない。

だけど、いいことがある。

村の子供たちはスワンプ(湿地帯)で遊ぶ。彼らにかかればどこでも遊び場になる。




空が毎日違う表情を見せてくれる。
今はただそのことに感謝しよう。

2012/04/26

パワーオブミュージック


わけもわからずに、体が震え、鳥肌が立ち、涙がでる。
感動するってそういうことだと思っている。

ウガンダの音楽は2ビートでリズムはどんな曲でも一緒。正直いうとレゲエを聴かない私としては、ジョゼ・カメレオンも、ベベ・ケンゾーもボビー・ワインも好んで聴かない。

だけど、世界にはもっといろんな音があって、楽器があって、音楽があるんだぜ!

それを伝えたくてMusic Caravanを昨年9月に立ち上げた。音楽隊員を中心に小学校教諭隊員や青少年活動隊員が集まり、音楽の楽しさやさまざまな形態を伝えようというもの。活動場所は小学校から村のど真ん中までどこでも。なぜなら音楽はどこでも、だれでも、だれとでもできるから。

3月末に行ったアガリ・アワム小学校は音楽隊員でMusic Caravan発起人の小堀女史の任地。
とてもきれいな学校で会場準備に少々の遅れはあったものの準備万端。この日は全部で3ステージ。全校を3つにわけ、低学年からステージに招いて披露。

ステージではリコーダーやバイオリンの演奏など普段耳にすることのない音を聞いてもらったり、世界にひとつだけの花(手話付き)、さんぽ、日本民謡など日本語の歌紹介。

民謡なんかはウガンダ伝統の羊の皮を張ったドラムでリズムを取りながらひょっとこやオカメさんの面をした隊員が踊って子供を楽しませる。時にはそのお面にびっくりして泣いてしまうウガンダの子供たち。

今回私はオカメさんだったので面白おかしく、泣かせてやろうと意気揚々と登場!したのだが、子供はきょとん・・・
さ、さすがシティボーイズあんどガールズ。そんなものではびびりません。

ちなみにデジカメで写真をとっても「デジカメぐらいウチにあるし~」と珍しがらない・・・それに、全員靴はいてるしね・・・ウチの学校は60%ぐらいは素足。これは靴をもっていないわけじゃなくてもったいないからはかないだけ。家の裏に住む3歳ぐらいの子供は僕をみると鬼をみたように泣く。もちろん私は普段お面はつけてない。

最後のステージでは高学年ということもあって世界地図を広げて「ウガンダはどこだ!?」「日本はどこだ!?」と軽いクイズ。大抵の子供はウガンダの場所を知らない。無論日本の位置も。世界地図が売っていないからだ。国内地図は路上で売っているのに。かつて麟太郎や龍馬が日本の小ささを知り世界の大きさを知って好奇心と向上心を刺激されたようにこの国に世界地図があれば変わるものは大きくあると思うのだが・・・

さて、ニジェールあたりをウガンダだと勘違いしていた子供たちとワイワイ言いながらステージはサプライズが。小堀女史の生徒たちがピアニカを演奏してくれた。曲目は「ふるさと」。ただただ、帰りたくなった。そしてクライマックスのソーラン節へと向かう。これは、テッパン中のテッパン、アップテンポと見た目の派手さで盛り上がる。


大トリが終わりモモをピクピクさせながら最後の挨拶を済ませるわれわれ。
と、ここでさらにサプライズ。
小堀女史がおもむろにキーボードの前で「みんな練習したよね?最後だから楽しんで歌おう!」と何かを弾きだした。イントロを聞いただけでは何の曲かちょっとわからない。そうするうちに子供たちが詩をつむぎだす。
There comes a time....when we head a certain call.
When the world must come together as one.

曲が進めば進むほど私は涙をこらえきれなくなっていた。
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving...

みんなで歌った後に、女子生徒から質問がとんできた。

「なんで、ないているの?」

隊員それぞれいろいろと言葉にしては見たものの、うまく答えられない。



その答えは、彼らが大きくなって世界に飛び出したときに自身で見つけてほしいと心から願った。

2012/04/09

夜明け

ご無沙汰しておりました。
1月から全くブログを更新しておりませんでした。更新を待っていてくださった方々、
「カイトは元気か?」と(もしかしたら)心配された方々、すいませんでした。


1月2月と忙しい毎日を過ごしていました。

というかね、PCがクラッシュ・・・
撮り貯めた写真と最重要ファイル以外吹っ飛んでしまい、クラッシュ以前のパフォーマンスに戻すまで
1ヶ月以上かかってしまいました。

とにかくまずは、旅の続きを。

で、書いていたドラフトが消えてしまった+今更感があるので写真メインで。

   12月25日にマラウィへ移動、そのまま世界遺産のマラウィ湖へ。 アフリカ人のバカンスは「湖に行って騒ぐ」というのはウガンダと一緒。そして、26日忽然と彼らはいなくなりました。

マラウィ湖は魚が豊富で有名。とうもろこしの粉を水で練ってふかした主食のシマ(ポショ)と油ののった魚があっておいしい。

そして、デンマークの世界的ビール酒蔵・カールスバーグ(Calsberg)はマラウィに工場を持っているらしく、広く一般敵に飲まれていることに驚いた。しかも、スペシャルブリューや黒ビールも。飲んじゃうよね(笑)





 それでも、日のでは見たくて早起きする。この時期のマラウィの日のでは午前5時。やっぱりきれいで、滞在した朝はもれなく朝日をおがんだ。
 昼間は島へ行って、のんびりして、BBQ(魚の)したり、バカンスを満喫。



そして、マラウィ人のセンスが好きになった。ネズミーランドの主もマラウィではやっぱりサッカーが好きで、レゲエがすきで、トウモロコシ採りすぎのアフリカ人体系だった。

そして、赴任1年をすぎ、やっと目指すところを目指せると実感している4月です。

2012/02/15

ビクトリアフォールズと怪力

そして22日リビングストンへ移動。
世界三大瀑布の一つビクトリアフォールズのある街だ。
この街ではデラ(仮名)が活動をしていて、彼女が遊びをコーディネイトしてくれた。
そんな、早速ビクトリアフォールズへ!

訓練所の時とほとんど変わらず再会したでら。
彼女がタクシーの中で思いもよらぬ事件を起こす。

「NGO配属って大変だよね~」なんて話をしていたら、いきなりデラがタクシー後部座席の窓を壊す! さすがデラ。

「ちがうちがう~」(ちがわない)

そして、滝。
語らずとも写真だけで十分。
見るだけじゃつまらない。跳んじゃおう、漕いじゃおう、飛んじゃおう。

バンジー(私はしていない)。日本でもここのバンジーロープが切れて女性が転落したのはニュースになったと思う。その9日前のことだ。

ラフティング。ザンベジ川を半日下った。がけを下から見上げるのは壮観。

マイクロフライト。パラグライダーにエンジンを付けたやつで空から滝を見ようというもの。やるつもりが、アクシデントでできずじまい・・・残念。

ラフティングのスタート地点。橋の上からバンジー。


左の崖はジンバブウェ。右はザンビア。


かばのあくび

2012/02/11

ケンタッキーの友人

ザンビア2日目。
この日、大きな意味を持つ再会をした。

アメリカでの留学時代に同じ寮に住んで、仲良くしていたザンビア人の友人ジェームス(仮名)と再会した。
アメリカはケンタッキーの地で出会ったアフリカ人とアフリカで再会するとは思ってもいなかった。

待ち合わせ場所はもちろんKFC。そこ以外ありえない。

ジェームスの車でルサカ市内観光。
「とりあえずココおさえとけ」といろいろつれまわしてくれた。

まずは、

以前ウガンダに墓地はないエントリーを書いたが、ザンビアにはあった。そして、墓石は死ぬ前に自分で作るとか。場所代は払って、息子や孫の場所まで確保するとか。死してなお、子々孫々の死を案ずるザンビア人のやさしさにふれる。
墓石ひとつ、墓地ひとつでその国の文化を垣間見る。

つぎに、大学

ザンビアの東大、University of Zambia
大きなキャンパスに伝統ある校舎。なにより「ザンビア」らしかったのはDepartment of Mine(鉱物学部)があること。銅などの豊富な鉱物資源によって支えられた国だと教えてくれる。

そして、ジェームスが卒業した高校。

これは割愛。

さらに、クラフトショップ。
置いてるものはウガンダとあんまし変わらない。だけど、ザンビアの国旗をモチーフにしたトートバッグを購入。

つぎに足を向けたのは美術館
なんとも、中は現在改装中らしくあまり展示数は多くなかったが、アウストラロピテクスの頭蓋骨があったりと貴重なしなが数点。そして、コンテンポラリーアートの数々。なんだか文化的にも水準の高いザンビアがまぶしく見える。。。
こんな現代美術があるなんて・・・ウガンダには・・・ない
アメリカかぶれの彼は美術品に手を触れちゃいます・・


































目玉、国会議事堂
そんな簡単に中に入れる場所ではないのだが、彼の義理のお兄さんの親友が中で働いているらしくコンタクトをとってくれて、敷地内に入ることができた(この縁故で物事が動くところはアフリカ。ウガンダも変わらない)。写真をネット上にアップできないのが残念だ。


敷地内には国会図書館があったり、きれいに整備された芝生と池。そしてインパラが飼育されていてた。これには「おいおい、ウガンダやられてるじゃないか、完全に」と思ってしまった。なぜならウガンダの首都カンパラとは「インパラの住む丘」という意味があるからだ。

ベタだったが印象的だったのは議事堂の壁。全面というわけではないが、屋根部分に銅版がはめ込まれているところがあり、やはり鉱物の国、銅の国だと感じる。

そして、なにより親近感がもてたのは各議員ひとりひとりに割り当てられている駐車場。
何のヘンテツない、駐車場なのだが、議員の名前のプレートが立てられている。そして、そこに停車されている車たちは、カローラ。
聞けば、議員はみな自分で運転して国会へくるらしい。国会会期中だったため、議事堂内は見ることはできなかったが、貴重なものを見せてもらった。

車中、ジェームスと色んな話をした。Murrayのこと、Murray友人のこと、ウガンダのこと、ザンビアのこと、アフリカのこと。

ザンビア人でもエリート中のエリートのジェームズ。彼はウチの大学院でMBAを取得している。
ザンビアの外でも働くことができるだろう彼が、ザンビアに帰っていることに私はとてもうれしく思えたし、彼のような存在が多くなればザンビアの未来は明るいと思える。
ちなみに、私の元ルームメイトのザンビア人、アーセナル(アンリ)が大好きなスークワ(仮名)もザンビアに帰って仕事をしているらしい。しかし忙しいらしく会うことができなかった。


そんな、ノスタルジーと未来を感じることのできた再会の1日だった。