Ennyanja Nalubaale- ビクトリア湖

2011/11/17

セネネキャッチャー

私の住んでいる地域のマサカはウガンダでも有数のセネネ産地。

となると、前回エントリーの高級バッタ食材、セネネはいったいどうやって採ってるのよ?となる。
じゃあ、「行ってしまえ」と行ってきました、セネネ採取場!

 セネネは夜に光を使って集めて採る。
雨季になると夜な夜な工業地帯の様にコウコウと光をはなつ採取場。
今回初めてその中に足を踏み入れた。

採取方法はいたってシンプル。
ドラム缶をライトを中心にして並べ、その上にトタンを立て掛ける。
そうすると光に寄せられたセネネがトタンにぶつかり気絶
トタンを滑ってドラム缶の中へ。というわけだ。

近寄ってみると、思ったよりも大きなドラム缶とトタンの高さに圧倒される私。
働いているセボ(男性)に一日にどのくらい採れるのか聞いてみた。
するとドラム缶3分の2は採るというのだ!
まあ、大げさに言っているだろうから、「(多い時で)ドラム缶3分の2」と解釈したほうがいいだろう。
前回エントリーでコップいっぱいが6,000ughというのだからドラム缶1缶でいったいいくらの儲けになるのだろう。

電気代がかさむと思うが、それでも1日で余りあるほどの現金を手にすることができそうだ。

そういう今日、うちの村は停電なんですけどね・・・

季節モノのセネネ。
毎日採れるわけでもないし、毎回大量というわけでもないだろう。
それでもウガンダでの季節モノ産業の一翼を担っていることに間違いはないはずだ。

それはまるで、秋の栗。冬のカニ。そして雨季のセネネ。

あとアリとかも季節モノ。

ウガンダの季節モノをもっと探してみたい。





2011/11/08

グルメレポート Senene丼(セネネどん)

世界にはゲテモノに分類される食材がたくさんある。
そしてそれは文化圏で全く異なるもの。
日本の代表的ゲテモノ食材はなんだろう?
生魚?サカナの卵? くじら?
それを決めるのは、それを食べる人。

ウガンダの食材で日本人がゲテモノと言うのはきっとバッタ
日本にもイナゴなんかあるけど、やっぱりゲテモノ

セネネと呼ばれている。

セネネにもシーズンがあって、セネネが市場に出回ると雨季の真ん中にいることを教えてくれる。

この時期はよく調理済みのセネネが道端で売られている。

それでね、グルメレポート的には自分で調理と思って、初めて生きてるセネネを買ったの。

まず驚くのはその高級感。
コップいっぱいで6,000Ush(約240円)
ちなみに米1kgが3,500(約140円)だからその値段の高さをご理解いただけるだろう。

私はコップいっぱいも食べれる自身がなかったので半分にしてもらった。
そのセネネでセネネ丼を作ってみた!

材料(1人分)

米   1合
セネネ 半カップ
塩   少々
醤油  少々








調理方法はいたって単純。
ゴハンの上に煎ったセネネをのせて、醤油をかけるというもの。
セネネを煎ってる途中に塩をふり、カリカリになるまで仕上げる。
緑の彼らが、ちょっと茶色くなるまで。

親子丼に勝るとも劣らないタンパク質豊富な丼になった。

セネネはエビのような味。さくさくとした食感。

桜海老ゴハンを食べているようにかきこんじゃったよ(笑)


         ごちそうさまでした。

2011/10/18

ウガンダ的日本人

少々、愚痴気味な書き方をさせてもらう。

異国での生活は、全ての事象に「なぜ」と問い続けることと、積極的な情報収集に対してのモチベーションが下がってくる6ヶ月目以降の生活ではそれらをいかに保ち続けるか、いかに呼び覚まさせるかが大事になってくるだろう。

だが、いくら「なぜ」と問うても理解のできないことはある。

先週のある日、夜明け前から雨が降っていた。
やんでも、またすぐに振り出すという具合だ。

ウチの学校は子供が全員で集まって雨をしのげる場所など無い。
いや、ウガンダの学校全部に当てはまることかもしれないが。

なので朝の朝礼は雨がやんだすきをみて行われた。
朝礼はいつも8時からだが、今日は9時ごろになった。
それでも朝礼中に雨は降ってくる。

遅刻してくる子供なんて毎日10人ぐらいいて、体罰をうける。
内容はその日によって変わるが、今日は「雨の中ずっと立っておく」というものだった。

朝礼はいつもの1時間遅れ。
天候によっての予定変更はこの国では当たり前だし、仕方の無いことだと思う。

だが、その罰と他の先生の行為にボクは本気で腹を立てた。

朝礼中の先生は屋根のあるところに立って朝礼をながめる。
朝礼を終わらせると、遅刻してきた子供に雨の中立っているよう指示をする。

普段「子供の健康が~」とか「教育が~」とえらそうに正論をぶつけてくるくせに、そういうことを平気でする。それでいて、自分は教育者づらをする。

それが「ウガンダの教育方法だ」といってしまえば、それで終わりなのだが、それでは子供の健全な教育はできないとボクは思う。

大人が手本になるべきであるはずだ。
そいういう大人の行為を見て子供はどう思うのだろうか

今の大人は自分が子供だったとき、大人のそういう行為を見てなんとも思わなかったのだろうか

この学期は3学期で最終学期。この学期まではウガンダのやり方を学ぼうと思い、意図的に批判的な意見をすることを控え、忠実に彼らのやり方に従っていた。
「日本」とのやり方の違いを知らないまま何を言っても、受け入れられないだろうと思っていたからだ。
しかし、その「日本」がボクの中からそぎ落とされた今では、いいこと悪いことを判断することが感覚的にできるようになってきたと思えてきた。「ウガンダ的日本人」になりつつある。



だから、そろそろ、ブッコんでいってもいいですか?

2011/10/14

援助の下請け その3

今年8月、2ヶ月前のことだ。

私のいるNGOはエイズ予防啓発やHIVポジティブのグループへの支援を行っている。

UNFPA(United Nations Found for Population Activities 国連人口活動基金)

からコンドームの配布があった。大量に。
周辺の村の人へ配ってほしいとのこと。
それもただ配るのではなく、プログラムとして配布してほしいとのこと。
各パリッシュのVHT(village health team=)をとおして若い男女を集めてHIV感染予防のトレーニングを3日間受けてもらった上でコンドームを配布するというもの。
このプログラムがUNFPAから持ち込まれたものなのか、うちの配属先がアイディアを出したのか定かではない。が、多分UN側からだと思う。

私は村人集めを手伝った。
バイクで村を回って、一人ひとりに会って、口頭で時間、場所を教えてきてくれるようにお願いする。
180人を集める予定なのだが、1日に会える人はせいぜい40人。
「メールで一斉送信」
っていう方法がどれほど便利か思い知らされると同時に、これが途上国の村の人のやり方なのかと勉強する。
まあ、私はいてもいなくてもよかったから、2日付き合って、後は他のスタッフだけでいってもらったが。

トレーニングは日曜の昼にはじまった。

日時はダイレクターが決めたがその日時を聞いたとき、「あぁ、こいつ馬鹿だ」と思った。

だって、日曜ってみんな教会に行くのに。
昼からにしたって、絶対に集まらない。
それでも、彼は強引にその日時で集めたわけだ。
村人の生活に我々NGO側が合わせるのか、村人が我々NGOにあわせてもらうのか
答えははっきりしている。 ちなみにうちのダイレクターは教会へは行かない人だ。

それでそのトレーニングの初日だけ覗かせてもらったが、来た参加者は40人そこそこだっただろう。
トレーナーは別のところから呼ばれた人がしていて、HIV/AIDSに対する知識やトレーナーとしての経験もありそう。
私はこの件にはノータッチの方がよいと判断して任地を離れた。首都で先輩隊員の中間報告会があったためだ。

首都からチワンガラへ帰って、オフィスにコンドームのはいったダンボールがおかれていた。

「お、どのくらいくばったんだろ」と思い、あけてみると・・・

2ダースしか減っていなかった。
1カートン中
50グロス(1グロス=12ダース)
1ダース(12)
1箱中コンドーム50個

1カートンの中に3万個のコンドーム。これが2カートン分
つまり6万個のコンドームをもらって100個くばったわけだ。

2ヶ月たった今もオフィスにそのままの何もされないままおいてある。


ウチのNGOはUNの方向か、村人の方向かどっちを向いているのだろうか。

そして、裁ききれない=ウチのNGOの援助吸収能力の低さ
さらに、援助側のモニタリングの欠如なんかを考えてしまう。

かといって、「これ以上の援助効果とモニタリングが可能か?」と問えたとしてもこれ以上は不可能ではないだろうかと思う。
UNからウチの村にまたくるの?
3万個も配れるほど人はいないよ?
配っても、それってちゃんと使われてるの?
このあたりが国際協力の限界であり、この被援助側の能力と仕事効率にあわせて援助側は仕事をする必要があると思う。

まーそういっても、それってすごいストレスのかかることなんですけどね・・・

2011/10/03

援助の下請けその2

援助慣れという言葉をきいたことがあるだろうか?

明確な定義づけがされているわけではないようだが

海外からの援助を受け入れることが長く続くことで、被援助者がオーナーシップ(自助努力とも)を持つ意欲を失ってしまうこと
つまり何らかの働きかけを海外から行った場合に被援助者が「その事業の中心になるという精神」を失ってしまう状態をいう

こうなると、海外からの援助を期待して自分たちで何らかのアクションを起こそうとする人たちがいなくなる。
こういうことが、現場で目立ちはじめたことから「オーナーシップ」という題目が世銀が提唱したComprehensive Development Framework(包括的開発枠組み)の項目2に入ることになった。

実際、この援助なれを目の当たりにする。
ただ、この援助なれが度を越して援助依存といえる状態になっている。私の配属先NGOでは。


それはなぜかというとウチの配属先に仕事を回しているのが海外の援助団体・機関であり
その仕事というのはある種のモノポリー状態であるからだ。
それは前回のエントリーを読んでいただければお分かりいただけると思う。

でもね。

ウチの配属先をとおしたその先にある人たち。

エイズ遺児であり、学校に行けない貧しい家庭の子供たちであり、村の住民たちである。と私は思っている。

彼らには資源、教育や選択をする機会を得る機会がが少ない。それは間違いない。

その人々が現地NGOの顧客であり、サポートしてもらう人々であると私は思う。

「援助依存」の定義はわからない。
だけど、援助依存度は
現地NGOがどれだけ自分の顧客(活動の対象とする人々)の方向を向いて全力で活動しているか
によって測れるのではないだろうか。

某王手NGOからの委託ワークショップをするウチのスタッフ
次回はうちの配属先の援助依存の一例を挙げたいと思う。そして、先進国および国際援助機関の限界も知っていただけると思う。